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2012年4月 9日 (月)

桜咲く満月の夜

目の前の井の頭恩賜公園の桜が、今日一気に満開となった。既に一昨日の朝から、カメラマンが押しかけていた。近くの幼稚園児が、さなぎが列を為すような動きで池の周りに集まってきていた。

近年、「バカ造」といわれる若造たちが、桜が咲くと夜遅くまで池の周りで乱痴気騒ぎを繰り広げて顰蹙を買うことが恒例となっているが、それさえ除けばここの桜は勲一等に値するといっていいだろう。その華やかさをもっとも華やかに見る一番の観方は、ボートを借り出し、池の中から池の周囲の桜を、張り出した枝の下へ潜り込んで観察したり、池の真ん中でボートを静止させ、満開の桜の水面へ張り出す様をじっくり眺めたりすることである。池を取り巻く桜と共に、地面にへばりつくようにして酒盛りをする人びとの群れが視界の邪魔ではあるが、精神一到、意志の力で人びとを消し去ることぐらいが出来なければ、昨今はここの桜をそのピークに合わせて楽しむことは出来ないのだ。私などは、既に池の真ん中から桜の華麗さのみを楽しむことができるまでになっている。

ただ、今や寓居が公園に隣接しているので、早朝などを利用すればそれほど無理をすることもないのだが、足の踏み場もないほど人びとが集まらないとどこか物足りなくなっているのも事実である。

あれは、うだるような8月の土曜日の午後であったか。

吉祥寺・末広通り入り口あたりの不動産屋に、確たる目当てもなく入ってみた。確たる目当てはなかったのだが、いずれ井の頭恩賜公園の池の傍に「終の棲家」を、という獏とした目的は日頃から胸に秘めていたのである。思いつくまま、幾つかの条件をカウンターの女性に告げると、怪訝そうに1枚ずつ順番に物件シートを目の前に並べ始めたのだ。吉祥寺のマンションは、概ね築年数が古い。

「古いな、まるで築縄文時代みたいだ」

「・・・」

「マンションでなきゃならない、とは言っていない」

「えっ・・・」

と今度は、一軒屋のシートを目の前に置き出した。この時、既にこの客は単なる冷やかし、と思われていることは解っていた。

どれも決め手に欠け、まあ、今日決めなければいけない訳でもなし、と思い始めていると、当然相手にもそれは伝わる。次第に投げやりに高い物件をカウンターに並べ出した。そのうちの1枚の「宣伝文句」が目をひいた。

『井の頭公園がご自宅の庭!』

よく見ると、文字通り公園に隣接している。というより、公園敷地の中にあるようなロケーションではないか。

「何故、これを先に出さない!?」

「えっ??」

係の女性の言い分は、聞かなくても解っている。年寄りの一人暮らしで何故3階建ての一軒家が必要なのか。階段のある家を避けるのが、「老人」の常識ではないか。顔にそう書いてあった。

しかし、必要性だけで家を選ぶか? そして、まだグルコサミンやコンドロイチンの世話にはなっていない。最初から「公園の近く」と言っているではないか。

このような、何気ない経緯で「終の棲家」が決まった。奇妙であったのは、この貸家には「名称」が付いていたことだ。「樹林亭」という。多分、公園の木々に覆われているからだろうと想像し、平凡なネーミングだなと思っていたら、入居してから「樹林亭」なる名称の謂れが分かった。そのことは、ここで明かすと多少人様に迷惑がかかるかも知れないので割愛するが、いずれにしてもこの「樹林亭」という、実は奇妙な家が私の最後の棲家となったのである。

今夜は、池の上に満月。月が桜を見下ろし、昼間喧噪を極めた公園は、宴のあとといった趣である。

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