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2012年6月

2012年6月22日 (金)

水無月の憂鬱

例年のことであるが、6月に入ると私の機嫌は日々悪くなっていき、桜桃忌の頃になるとそれはピークに達する。3~4年も私の傍にいるスタッフは既に心得ていて、今月一杯は余り触らぬ方がいいと然るべき態勢を採っている。ところが、そういう態勢に馴れが出てしまったのか、飲んでいる場で私に面と向かって

「あと5年くらいですね」

と言ってのけた子がいた。こういうことをやらかすのは、大概TMである。忽ち、身体中の血液が音を立てて逆流し始めたことは言うまでもない。

6月の不機嫌の理由は、言うまでもない、今月誕生日を迎えるからである。誕生日を迎えるとどうなるか。66歳になる。今年の菊花賞と有馬記念は6-6のぞろ目一点買いだ、などと、一見気楽を装ってはいるが、内心は穏やかではないのだ。大仰に言えば、恐怖に慄いているのだ。

そういう高齢者の繊細な心持ちを微塵も解せず、TMは私の余命をあと5年と明確に見通したのである。

この時、一人の男が同席に居た。この男が後刻、輪をかけてトドメを刺すようなことを言ったのである。

TMさんがあと5年と言いましたが、数字を言う時は誰しも区切りのいい数字を口にするもので、5年ということは本心では3年位だと思ってる訳ですよ。女性って、特にそうですよ」

何ということか。ウチのスタッフは、こういう寒々しい精神世界に生きていたのか。ならば、この際当方も声を一段と大にして言っておきたい。

「だったら、俺を大事にするのは今のうちだぞ!!」

あとで悔いても、こればかりはどうにもならぬ、と。

それにつけても、この二人はラッキーである。66歳になろうとする今の私は、我ながら感心するほど大分人間が丸くなってきている。これが5年前であったなら、何が起きていたか。TMは椅子を蹴り上げられ、二人の夏のボーナスは、確実に半分になっていただろう。

更に輪をかけて憂鬱なことが続く。

今年もまた、既に有名無名を問わず、私と同齢の人びとや年下の者が去って逝く。今まさに、私より二つ年下の男が肺がんで逝こうとしている。息子からの知らせでは、もって一両日であろうという。この時刻、彼はまだ頑張っているのか。

かつて一緒に少年野球チームを率い、練馬区百チームのトップに立ったこともあった仲間である。私は、昔からプロ野球を観戦する時に、試合前のノックを観るのが一番好きであった。プロの世界のノッカーは流石に上手く、これを観ないでゲームそのものだけでは入場料のもとはとれない。こういうプロのノッカーは別にして、社会人から高校野球を含めてアマチュア野球の世界で、この男ほどノックの上手い男を、私はそれまで見たことがなかった。だから、この男と組んで育て上げるチームは、毎年「守備のチーム」で、練馬区でトップに立った年のチームは、少年野球らしからぬ高いレベルの守備力を誇ったチームであった。それもこれも、彼の並みはずれたノック力と野球理論の成果であった。そういう仲間が去ろうとしている。さらば、友よ。君のノックの球筋は、いつまでも忘れないだろう。

井の頭池は、神田上水(神田川)の水源である。ベランダから斜め下、直線距離にして20メートルあるかないかという池の端に、そこが神田川の水源であることを示す石の碑が鎮座している。

夜陰に雨が強くなる。石碑の辺りだけが水かさを増したかのように、いつもより激しく水流の岩にぶつかる音が立つ。

水源の石碑まで何ヤード? 墓場まで何ヤード?? 水無月の雨の夜、心がざわめく。

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2012年6月 5日 (火)

面白くない高齢者

 井の頭公園の緑が日に日に盛り上がってきている。ここは、大いに賑わう桜の時期よりも、新芽が吹き出し、木々がひと回り大きくなって公園全体が瑞々しく盛り上がる今が、一番の季節かも知れない。張り出してきた枝は、ベランダから手が届きそうである。

最近、漸くこの住まいに馴染んできたような気がする。住まいもそうだが、井の頭池とかハーモニカ横丁に代表されるこの街に馴染んできたような気がするのだ。かつては新宿などへ出かけて買っていたものも、休日にぶらっと出かけて買い求めることが普通になり、休日に他の街へ出かけることが殆どなくなってしまった。根が“ずぼら”なので、そういうことも心地良さの要因になっているのだろう。

休日の公園には、手づくりの小物を並べている女性、昔のマンガを紙芝居のように語り聞かせる中年のオッサン、大道芸を披露する若者、バイオリンを奏でる少年のように小柄なオッサン、ロダンの彫刻になり切っている年齢不詳の男等々、大体いつものパフォーマーたちが集まっているが、時々ロカビリーを“喚いている”元気なジイさんが現れる。小柄でマンボズボン、60年代の若者風に装っているが、あれは間違いなく私より年長のジイさんである。エルビスの若かりし頃ロカビリーの洗礼を受け、きっと山下敬二郎のファンであったに違いない。あれは、平尾でもミッキー・カーチスでもない、きっと山下のファンであったはずだ。このジイさんは、実に元気である。ギターを弾くというより叩きながら、通りすがる若い女の子に唄いかけるというのではなく、喚きかけるのだ。ギターを打楽器のように扱いながら喚きかけるものだから、女の子たちがたじろいでいる。

アクティブシニアという表現によく接するが、確かに近年、ジイさんやバアさんは元気である。ロカビリージイさんだけでなく、朝といわず夜といわず、公園の中をジイさん、バアさんがヨタヨタとランニングに精を出している。ヨタヨタと、ではあるが、長距離走の経験者としてよく解るつもりであるが、急にはあのように走れるものではない。どう見ても、一定期間継続していることは明らかである。朝、カーテンを開けると、ヨタヨタランナーたちが目に飛び込んできて、自分もやらなきゃ! といつも刺戟を受けるのだが、この点でも私は“ずぼら”であって、よし、走ろう! と決めてから走り出すまでに多分半年はかかるだろう。今はまだ、よし、走ろう! という気分になる直前である。

ジイさん、バアさんなどと失礼な表現を使っているが、今は「高齢者」といえばいいのである。ところが、ジイさん、バアさんという、日本語らしいフレキシブルな言葉とは違って、この「高齢者」という言葉には厳格な定義がある。このことは、国際的に決まっているのだ。「高齢化率」という言葉があり、これは「65歳以上人口の総人口に占める割合」のことである。そして。高齢化率が7%~14%の社会を「高齢化社会」、14%~20%の社会を「高齢社会」、21%以上を「超高齢化社会」という。日本社会は、既に「超高齢化社会」に入っている。つまり、「高齢者」とは65歳以上のことをいうのだ。冷徹な事実として、私も「高齢者」の一人となっており、不本意ながら「超高齢化社会」実現に一役買ってしまっているのである。

ミケランジェロやダ・ヴィンチが活躍した時代、彼らがローマの街を歩いていたとして、その時65歳以上の「老人」と出会う確率は40人に1人程度であった。彼らが現代の東京の平均的な住宅街を歩いたとしたら、その確率は4人に1人になっているのだ。このように考えると、ものすごい様変わりである。日本が急速に戦争へと舵を切りつつあった、二・二六事件が勃発する昭和十年~十一年頃、日本の「高齢化率」は4.7%であった。これが、敗戦を経て朝鮮動乱が勃発した昭和25年頃もまだ4.9%であったりしたが、高度成長期の真っ只中、昭和45年に7.1%となって「高齢化社会」に入った。そして、平成7年に14.5%と14%の壁を突き破って「高齢社会」となり、平成19年に21.5%となって「超高齢化社会」となった。最新の推計では、現在は23%を越えている。高齢化のスピードは、高齢化率が7%から14%に上昇するのに何年を要したかによって測られるが、フランスが115年、スウェーデンが85年かかっているのに対して、日本の場合は僅か24年であった。ヨーロッパでは特にスピードの速かったドイツでも40年を要しているというのに、凡そその半分、つまりスピードは2倍・・・明治維新後の日本という国は、万事この調子なのだ。

近い将来、ごくごく近い将来、労働人口2人が1人の高齢者を支えなければならなくなる。「シルバーデモクラシー」という言葉が生まれているが、政治家は高齢者の支持を得ないと当選できなくなる。先の「後期高齢者医療制度」の時の騒動を思い返せば、分かり易いだろう。その結果、世代間対立というものが深刻になる可能性が高い。

最近、「あと5年ですね」などと、堂々と私の人生を区切る者が周りに増えてきた。女の子までが面と向かっていうから、私は内心穏やかではないのだ。確かに、おぼろげであった墓場が、次第に鮮明になりつつあるのを実感する昨今であるが、「あと5年」と面と向かって区切りながら、若い子に感慨深そうな表情をされると、妙なリアリティが湧いてきて心は不穏なのだ。

更に面白くないのは、年金のことである。私の年代は、制度変更の過渡期に当たっているようで、2~3歳違うと受給開始年齢にも差が出てくるのだが、私は63歳から満額受給できることになっていた。その年齢をとうに過ぎているというのに、今だに1銭の年金も受給していない。現役で働いていると一定以上の収入があるのは当然だが、その場合は年金支給の対象外となるのだ。逆に、今でも毎月毎月、それなりの額の厚生年金保険料を支払っているのだ。介護保険料も支払っており、会社としては例の子供手当まで負担している。永年の知人によれば、私は現場で死ぬことになっており、そうなると私は一生、ひたすら支払うだけで終わり、受給するものは何もないのだ。老骨にムチ打って働いている身としては、違和感を感じないこともない。これって、果たして「正義」が為されているといえるのか。私だって、一度でいいから年金の1円でも受け取ってみたいのだ。

受給しているのと支払っているのとでは、立場は逆である。その点でいえば、私は年金を受給している「高齢者」ではないことになる。むしろ、一生懸命保険料を支払ってそれを支えている若年層と同じグループなのだ。労働人口2人が1人の高齢者を支える社会に於いて、私は支える2人側なのである。ここを強調しておきたい。

私に、「あと5年ですね」と嬉しそうに、感慨深そうにいった子に対して、私は内心でうそぶいている。

「俺が死ねば、お前さんの負担が増えるんだぞ」

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