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2012年7月 3日 (火)

「さよならは突然に」

芸能人の訃報が相次いで、やたら死んでいくという感がするのは、多分私の“ひがみ”みたいなものであろう。少年野球の仲間であった男は、結局昨日逝った。有名無名を問わず、こういうことはこたえる。

「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさんの逝去もショックであった。

「ザ・ピーナッツ」・・・昭和34年、私が中学へ入った年にデビューし、昭和50年、世の中が「本格的におかしくなる」前に引退した。引退した後は、二度と姿を見せなかった。近頃は何度も引退するような「定まらぬ」生き方をするのがやたら増えてきたが、彼女たちは「引退」したので、当然そのまま二度とスポットライトを浴びることはなかった。私の仕事絡みでいえば、戦後最大のアイドルといわれたYMが、やはり引退した後二度と姿を見せなかった。今なお見せていない。アイドルとは、アイドルとして生き、アイドルとして去ったのなら、二度と姿を現してはならない。アイドルとして生きたのなら、決して“老醜”を晒してはならず、引退した者がその後も出たり入ったりするのは、掟違反であろう。

「ザ・ピーナッツ」の歌唱力は、抜群だった。何よりも、ハーモニーが美しかった。ユミがメロディを受け持ち、エミがハモッた。今、AKBだ、その姉妹グループだなどと、女の子を集団で掻き集めて唄わせたり、踊らせたりしているが、あれは皆で声を一斉に出しているだけで、ハーモニーや歌唱という代物ではない。「ザ・ピーナッツ」は、60年代に「エド・サリヴァン・ショー」「カテリーナ・バレンテ・ショー」「ダニー・ケイ・ショー」などに出演し、当時は日本の歌手といえば「ザ・ピーナッツ」というのが欧州人の常識だった。

世界的な表現として、音楽の世界に「黄金の60年代」という言葉があるが、この時代を支えたのは30年代~40年代生まれの歌手たちであり、紛れもなくその一人(一組)であった「ザ・ピーナッツ」は1941年生まれ、私の5歳年上である。二人と縁が深いカテリーナ・ヴァレンテが1931年生まれ、エルヴィス・プレスリーが1935年、シルヴィ・ヴァルタンが1944年、ジリオラ・チンクエッティが1947年である。因みに、ビートルズのメンバーは、ジョン・レノンとリンゴ・スターが1940年生まれ、ポール・マッカトニーが1942年、ジョージ・ハリスンが1943年、そして、ストーンズのミック・ジャガーが1943年といった具合である。こういう名前に接するだけで、確かにそれは「黄金の時代」であったと頷けるものがある。

「ザ・ピーナッツ」のデビュー曲は『可愛い花』であるが、二人はこの曲でいきなりその実力をみせつけた。その後、「情熱の花」「悲しき16歳」「月影のナポリ」(競作)、「コーヒールンバ」(競作)、「ふりむかないで」「レモンのキッス」(競作)、「恋のバカンス」「東京たそがれ」「ウナ・セラ・ディ東京」(競作)、「ブルーレディに紅バラを」「乙女の涙」「恋のフーガ」「哀愁のヴァレンティーノ」「大阪の女」等々、ヒット曲を連発、SPLPの累計売上枚数は1千万枚を超えているという。そういえば、グルノーブル(1968年)の記録映画主題曲「白い恋人たち」も彼女たちだった。

バラエティ「シャボン玉ホリデー」のセリフ。

「いつも済まないねぇ」(ハナ肇)、

「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」(ピーナッツ)

・・・これを知っている人は、黄金の60年代を知っている人でもある。

私の若い頃の職場の近くに「三信ビル」という建物があったが(有楽町)、昭和50年の冬のある日、その辺りには寂寥感が漂っていた。前日、「ザ・ピーナッツ」がここで引退を発表したのだった。(当時、このビルにナベプロが在った) その前年だったか(記憶が怪しい)、「さよならは突然に」というヒット曲があった。

たった一度の究極の別れも突然やってくるものだとすれば、そろそろ油断はできない。

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旧友様のご冥福をお祈りいたします。

投稿: negibo | 2012年7月 3日 (火) 20時43分

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