桜の章-華やぐ街

2012年4月17日 (火)

娘という関門

樹林亭を「終の棲家」とするに当たって、最大の関門は既に嫁いでいる娘であった。何でも直ぐ決めてしまうのだから、と娘は私の事の進め方のパターンを、大いなる欠点としてよく把握している。他の物件も見て回って、よく吟味して決めるべきだというのである。世間の常識に従えば、実に正しい態度であるというべきであろう。

しかし、井の頭公園という限られた範囲に、ベランダから飛び降りたらそこはもう公園の中というような、私の求めてやまなかった立地の物件が、二つも三つも存在するとは到底思えなかった。それに、私の性癖として、一度気持ちがドボンとはまり込むともはやそれまでで、そこから気持ちが動かない。このことは女性についても同様で、私の精神とはその程度のキャパシティしかないのだ。世の中には、三~四人の女と同時にうまく付き合っている男がいるが、あれはかなり精神的なキャパシティの広い男であって、私は密かに感服し、憧れている。

そのことはさておき、私は内々の意志を不動産屋に伝えておきながら、娘にそれを伝えるまでに二週間ばかりの間を置いた。他の物件もいろいろ見て回っているなどという白々しい嘘は口にしなかったが、一応慎重に検討しているという体裁を装ったのである。

私がここまで娘の意向を尊重するについては、それなりの理由がある。実は、これまでも私は、掃除する、洗濯する、そして、生存する上でもっとも大切な「食べる」=料理する、ということをすべて娘に頼ってきたのである。料理するという仕事には、食材を買い求めることから、食い尽くした後の食器を洗うことまで幾つかの付随した仕事が派生する。洗濯という仕事を完結させるには、洗ったものを干さねばならない。また、「洗う」ということだけでも、洗剤とか柔軟剤とか、ややこしい粉や液体が必要らしい。実(まこと)に厄介な、この生存のための所謂「家事」という仕事を、私はすべて娘に頼ってきたのだ。勿論、家の中を掃除するという仕事についても同様で、掃除機のゴミを溜める袋が満杯になったらどうすればいいのか、今だに自信がない。

そういう私であっても、ものの道理やスジということを、最低限のレベルでは弁(わきま)えている。家の中を掃除してくれるのが娘だとすれば、仮に従来より若干でも面積の広い家へ越すとなれば、娘の掃除すべき面積が広くなるわけであるから、娘の了解なり同意が、或いは少なくとも「諦め」が必要となる。

これまで私は、徳富蘆花先生所縁(ゆかり)の芦花公園のマンションに暮らしていた。娘は、週に二回ぐらいのペースで諸々の家事を仕事に出ている私の留守中に片づけておいてくれたのである。マンションというのは部屋が複数あったとしても、個人が占有している空間はフラットである。ゴミ出しにしても、共有のゴミ出し部屋が一階に備わっていて、最低限の分別さえしておけばいつでも出しておくことが可能であった。ただ、溜まった雑誌や新聞を、四階の私の部屋からエレベーターを使って下まで運ぶのは、娘にとっては力仕事であったかも知れない。

ところが、私が「終の棲家」と定めた樹林亭は、もっと厄介な条件を抱えていたのだ。まず、それが一軒家であることだ。更に、三階建てになっているという“悪条件”が加わるのだ。部屋数が一気に倍増するわけではないが、計算してみると面積が2.5倍以上となる。つまり、娘が掃除すべき面積が2.5倍以上になるのだ。しかも、三階に分かれているとなると、掃除機を移動させる手間を考えると、掃除に要する時間は2.5倍以上になることが予想された。

このように、生きる上での必須業務を、私は娘に依存してきたわけで、大仰にいえば娘は私の生殺与奪の権を握っていたのである。家を越すに際して彼女の意向を無視すれば、私の孤独死の時期は早まる可能性が高いのだ。いずれ孤独死することになってはいるが、寺山修司ではないが、今はまだ「人生に対する未練」に苛(さいな)まされているのだ。

たった一つ、娘にとって悪くない条件があった。それは、ここが吉祥寺であるということであった。石神井に住む彼女は、日常の買い物などで頻繁にこの街へ出てきていた。行きつけの美容院も、駅の傍にあった。何よりも彼女は、この街が好きであった。従来の芦花公園へ行くには、吉祥寺へ出て、更に井の頭線で高井戸へ下り、そこでバスに乗り換えるという、実に厄介な経路を辿ることになる。東京西郊に住む方なら実感を伴って理解できるであろうが、広大な武蔵野を縦に移動することは、すこぶる不便を伴うことなのだ。益して娘は、まだ三歳になったばかりの幼な児を連れて来ざるを得ない日もあった。もし、吉祥寺から先の移動が消滅すれば・・・何と素晴らしいことだろう。好きな街、吉祥寺へ出るだけで済むのだ! 日頃、出慣れていて、どこにどういう店があるかも知り尽くしている街がゴールになるのだ! ここをアピールするしかない。

私の娘に対する戦略が定まった。

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2012年4月 9日 (月)

桜咲く満月の夜

目の前の井の頭恩賜公園の桜が、今日一気に満開となった。既に一昨日の朝から、カメラマンが押しかけていた。近くの幼稚園児が、さなぎが列を為すような動きで池の周りに集まってきていた。

近年、「バカ造」といわれる若造たちが、桜が咲くと夜遅くまで池の周りで乱痴気騒ぎを繰り広げて顰蹙を買うことが恒例となっているが、それさえ除けばここの桜は勲一等に値するといっていいだろう。その華やかさをもっとも華やかに見る一番の観方は、ボートを借り出し、池の中から池の周囲の桜を、張り出した枝の下へ潜り込んで観察したり、池の真ん中でボートを静止させ、満開の桜の水面へ張り出す様をじっくり眺めたりすることである。池を取り巻く桜と共に、地面にへばりつくようにして酒盛りをする人びとの群れが視界の邪魔ではあるが、精神一到、意志の力で人びとを消し去ることぐらいが出来なければ、昨今はここの桜をそのピークに合わせて楽しむことは出来ないのだ。私などは、既に池の真ん中から桜の華麗さのみを楽しむことができるまでになっている。

ただ、今や寓居が公園に隣接しているので、早朝などを利用すればそれほど無理をすることもないのだが、足の踏み場もないほど人びとが集まらないとどこか物足りなくなっているのも事実である。

あれは、うだるような8月の土曜日の午後であったか。

吉祥寺・末広通り入り口あたりの不動産屋に、確たる目当てもなく入ってみた。確たる目当てはなかったのだが、いずれ井の頭恩賜公園の池の傍に「終の棲家」を、という獏とした目的は日頃から胸に秘めていたのである。思いつくまま、幾つかの条件をカウンターの女性に告げると、怪訝そうに1枚ずつ順番に物件シートを目の前に並べ始めたのだ。吉祥寺のマンションは、概ね築年数が古い。

「古いな、まるで築縄文時代みたいだ」

「・・・」

「マンションでなきゃならない、とは言っていない」

「えっ・・・」

と今度は、一軒屋のシートを目の前に置き出した。この時、既にこの客は単なる冷やかし、と思われていることは解っていた。

どれも決め手に欠け、まあ、今日決めなければいけない訳でもなし、と思い始めていると、当然相手にもそれは伝わる。次第に投げやりに高い物件をカウンターに並べ出した。そのうちの1枚の「宣伝文句」が目をひいた。

『井の頭公園がご自宅の庭!』

よく見ると、文字通り公園に隣接している。というより、公園敷地の中にあるようなロケーションではないか。

「何故、これを先に出さない!?」

「えっ??」

係の女性の言い分は、聞かなくても解っている。年寄りの一人暮らしで何故3階建ての一軒家が必要なのか。階段のある家を避けるのが、「老人」の常識ではないか。顔にそう書いてあった。

しかし、必要性だけで家を選ぶか? そして、まだグルコサミンやコンドロイチンの世話にはなっていない。最初から「公園の近く」と言っているではないか。

このような、何気ない経緯で「終の棲家」が決まった。奇妙であったのは、この貸家には「名称」が付いていたことだ。「樹林亭」という。多分、公園の木々に覆われているからだろうと想像し、平凡なネーミングだなと思っていたら、入居してから「樹林亭」なる名称の謂れが分かった。そのことは、ここで明かすと多少人様に迷惑がかかるかも知れないので割愛するが、いずれにしてもこの「樹林亭」という、実は奇妙な家が私の最後の棲家となったのである。

今夜は、池の上に満月。月が桜を見下ろし、昼間喧噪を極めた公園は、宴のあとといった趣である。

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