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2011年1月 4日 (火)

墓場まで何マイル?

この新春は随分と失礼な賀状をお送りしてしまった。

正月にお送りする賀状とは、吉例としての儀礼であり、当然それなりのマナーがある。(儀礼というものをバカにする若造は、余程阿呆である) 最大のマナーは、縁起の悪い言葉=忌み言葉を使わないことである。「死」などはもってのほかであり、「別れる」や「仏」関連の言葉も使うべきではない。(「言い回し」「文法」=用法にもよるが) 「墓場」なども、当然その中に入る。

ところが、私は今春の賀状で寺山修司『墓場まで何マイル?』を引用し、今年六十五歳になろうとする私の新春を迎えた心境と今年の決意を申し上げた。昨年四月、肺がんの宣告を受けてからというもの、私の眼には「墓場」がちらつくのだ。具体的に自分の墓をどうしようという具体的な計画を練っている訳ではないが、『墓場まで何マイル?』というフレーズが発するインパクトと一種の落ち着きが今の私には違和感なく溶け込むように入ってくるのだ。とはいえ、「墓場」という言葉は賀状に於いては典型的な忌み言葉であろう。

演劇の世界では、今や寺山は「神様」である。私どもの世代は、その寺山とリアルタイムで対峙しており、私などは当時(6070年代)の寺山をどう解釈していいのか、戸惑ったものである。とても全面的に評価できるものではなかった。今でも、私は全面的には評価していない。近年でも行われている寺山に関する演劇をはじめとしたさまざまな試みに参加しても、やはり全面的に評価する対象ではない。しかし、時に圧倒される感があり、時にその繊細さに強く愛情を感じる対象でもある。

寺山は、昭和二十九年に早稲田大学(教育学部)国文学科に入学しているが、間もなく腎臓炎で入院、更に翌年「ネフローゼ」で入院し、昭和三十一年、大学を中退した。しかし、この頃から既に短歌や戯曲で注目されている。後の活動全般をみれば、寺山は歌人、詩人であるばかりでなく、小説家、映画監督、俳優、評論家、俳人、エッセイスト、そして、劇作家、演出家でもあるが、ベースは歌人、詩人である。寺山自身が、『僕の職業は寺山修司です』と答えていたというのは、余りにも有名なエピソードである。蛇足ながら、山田太一氏は早稲田時代同級生であった。

若い頃から病気とは縁の深かった寺山が初めて肝硬変で入院したのは、昭和四十九年、即ち華々しく活躍した70年代最後の年である。これが、昭和五十六年に再発して再入院。そして、昭和五十八年、またまた肝硬変で入院し、そのまま帰らぬ人となった。直接の死因は、併発した腹膜炎による敗血症である。四十七歳という若さであった。ご存じの通り、その寺山の絶筆となったのが『墓場まで何マイル?』である。

寿司屋の松さんは交通事故で死んだ。

ホステスの万理さんは自殺で、父の八郎は戦病死だった。

従弟の辰夫は刺されて死に、同人誌仲間の中畑さんは無名のまま、癌で死んだ。

同級生のカメラマン沢田はベトナムで流れ弾にあたって死に、

アパートの隣人の芳江さんは溺死した。

私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。

だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。

私の墓は私の言葉であれば、十分。

カメラマン沢田とは、周知の通りピューリッツア賞を受賞した戦場カメラマンの、あの沢田氏である。私どもの世代は、詩人であり、歌人であり、演劇人でもある自由人;寺山の生きざまをリアルタイムで見てきている。「墓場まで何マイル?」と問いかける寺山は、主治医;庭瀬医師に、

「今、45歳なんだ。後五年だけは、演劇をやりたい。その後十年は、文筆一本に絞る。だから、60まで生かしてくれ」

と訴えた。その一方で、「何故生きたい?」という庭瀬医師の根源的な問いかけに、

「人生への未練・・・」

と答えている。

失礼にも、私は賀状という場でこの話に触れ、自分が、寺山が願って適わなかった60歳をとうに越え、今年65歳を迎えること、自然の摂理としての人の一生を頭で理解しつつも自分もまた「未練」を抱えてのたうつであろうことをお伝えした。

私が、新春に敢えて寺山の「墓場まで何マイル?」を引っ張り出したのは、前述の通り、昨年、肺がんの宣告を受けたことと無関係ではない。この経緯については既にご報告済みなので重複は避けるが、今回もまた私は「死に損ない」となった。小学生時代にダンプカーの下敷きとなり、高校生時代には野球の硬球が頭部を直撃し、大学紛争では塩酸便・硫酸瓶攻撃を受けながら全共闘の立てこもる敵陣バリケードに突撃等々、主なシーンだけを回顧してもその都度周囲から「アイツは死んだ」と思われ、その都度その期待や思惑を裏切って今日に至っている。昨年の肺がん騒動も、誤診と確定するまで二ヶ月を要したが、事情はどうあれ、やはり「この度もまた・・・」という思いが強かった。

しかし、日頃殊勝にも述べている通り、人は自然の一部である。私も等しく自然の恵みを受けて今日まで、多少尋常ではなかったが、その生を楽しみ、自然の掟に従い、やがてその生を閉じることになる。

墓場までの距離を、そろそろ推し量るべき年齢に達するが、残念ながら私はまだ寺山のように、

「私の墓は私の言葉であれば、十分」

と言い切れる「身分」ではない。ただ、まだ諦める訳にはいかず、今年もまた戦いを続けることになる。同時に、いや、それ以上に強く思うことは、私の存在が誰かの益になることであり、私らしくないかも知れぬがその為の努力を惜しみたくはないということだ。

失礼な賀状で申し上げたかった主旨は、そういうことであった。ブログで賀状の言い訳をするとは、かえすがえすも無礼なことである。

しかし、賀状では言えないことであるが、この年齢で己の墓場までの距離を凡そでも掴んでおくことは、人としての基本的なたしなみではないかとも思っている。

心地よい新春を迎えている。

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