« 雪 | トップページ | 「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の七 昭和維新) »

2011年2月19日 (土)

「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の六 水戸の公家かぶれと司馬史観の罪)

イスラム学者の山内昌之氏が料理屋で仲居さんから

「先生はどこのご出身ですか?」

と聞かれたそうだ。

山内氏が、

「日本で一番人材の出ないところさ」

と答えたところ、当の仲居さんはすかさず、

「茨城県ですか?」

と真顔で返したという。

この仲居さんは茨城の出で、水戸藩の狂気の血の粛清合戦とそれに伴う人材の流出を含む枯渇を身近な問題として知っていたのである。

因みに、山内氏は北海道の出身であり、だからこそ、一番人材の出ないところと答えたのだが、確かにこの二つの土地については、十九世紀後半から日本社会に人材を供給しない地という“定評”が確立している。しかし、札幌に生まれ、北海道大学を卒業した山内氏が、カイロ大学、ハーバード大学、東京大学などで教鞭をとり、卓越した「人材」であることは私如きが注釈を付けるまでもないことである。

作家の中村彰彦氏は、「水戸光圀の観念性と問答無用の暴力」が、幕末の水戸を狂気の内戦に陥れた淵源であるとし、「諸悪の根源は水戸光圀」であると言い切る。

幕末期、幕閣による閣議の内容が朝廷(現実には、朝廷を利用しようとする勢力)に筒抜けになっていたことを述べた。誰から洩れたか。水戸藩;徳川斉昭から洩れていったのである。末席とはいえ御三家に列せられながら、これは重大な反逆である。倫理の点でも重大な倫理観の欠落と言っていい。仮に朝廷と幕府が敵対関係にあったとして朝廷に与したいのなら、御三家という家格を返上し、版籍を幕府に返還して後、そういう行動をとればいい。それがスジというものである。水戸藩には、そういう初歩的な論理的思考回路が存在せず、武家的倫理観も著しく欠落している。そのあたりで、中村氏の言う「観念性と問答無用の暴力」という表現が説得力を増すのだ。尤も、幕府と朝廷が敵対していたという事実は、江戸期を通じて一切ないことを忘れてはならない。

水戸藩が倫理も論理も都合よく忘れ去り、幕閣による閣議の内容を京都へ毎度毎度ご注進に及んだ背景には、二代目;水戸光圀以来の「公家好き」があったことは間違いない。それは、単なる「公家好き」と言うより「公家かぶれ」と言った方が当たっている。光圀の正室は、近衛信尋の娘である。三代目;綱條(つなえだ)の正室は、今出川公規の娘、五代目;宗翰(むねもと)の正室は、一条兼香の娘、六代目;治保(はるもり)の正室は、一条道香の娘と、殆ど代々公家との縁組を続けてきた。五代;宗翰の次女が二条治孝に、三女が今出川実種に、七代;治紀(はるとし)の三女が二条家に、四女が鷹司家に嫁ぐなど、水戸からも公家に嫁がせることを積極的に推進してきた。問題の九代;斉昭の正室もまた有栖川宮詔親親王の妹であり、十一女を有栖川宮熾仁親王の妃として嫁がせている。このように、水戸藩と公家との結びつきは尋常ではなく、これがあって水戸藩が“尊王かぶれ”となって「大日本史」というナンセンスな“歴史書”編纂に血道をあげるようになったのか、「大日本史」を編纂するような思想の持ち主であったから“尊王かぶれ”となっていったのか、いずれにしても藩の成り立ちからすると異常と言わざるを得ない。“尊王かぶれ”を単に「性癖」と割り切ったとしても、閣議内容を公家サイドに逐一漏洩させるに至っては、明白な犯罪行為、背任行為である。これが御三家でなければ、早々に処分されていたことだろう。

若い頃、女に狂い、人斬りを何とも思わなかった暴漢であった水戸光圀は、急に読書家となった。そして、中国思想にかぶれ「尊王斥覇」という思想を知り、これにかぶれた。これをそのまま我が国に当てはめると、王=天皇であり、幕府は覇王であると認識した。「大日本史」という愚書は、ひとえにこういう大義名分論で貫かれている。自らのみは天皇の直臣であるという勝手な「ドクサ」のもとに生身の人間の歴史を「修正」していったのである。これは、言ってみればチェス盤を用いて将棋をさすようなものであって、ゲームとしてもその都度強引な修正を加えつつ進めなければ成り立つべくもないのである。理念通りに展開しない歴史は修正されなければならない。その時に求められるのが「正気」(せいき)であるとする。「正気」とは、即ち「天誅」である。簡潔に言えば、こういうシンプルと言えば実にシンプルな論理展開でテロリズムを生み出したのである。これに、無学な長州の若造たちが飛びついた。本質は単なる倒幕主義者が、水戸学によって大義名分を得たということだ。勿論、西郷のようにこれを利用したと思われる策士がいたことも事実である。

歴史改竄(かいざん)の例を出せば、神功皇后を実在の皇妃として扱ったり、「壬申の乱」で敗れて自殺した大友皇子を勝手に“即位”させ、「弘文天皇」という諡号(しごう)まで作っているのだ。水戸藩が勝手に天皇の諡号を創っているのだから、呆れた「尊王」思想としか言いようがない。光圀は実子を兄;頼重(高松藩主)の養子に送り出し、その兄の子を養子として迎え、これが三代;綱條であるが、要は兄の子と自分の子を物のように交換したに過ぎない。これなどは、中国の「史記列伝」の故事をそのまま真似ようとしただけのことで、かぶき者;水戸光圀の「かぶれ体質」とはそれほど異常であったということだ。

光圀が始めた「大日本史」編纂の精神は、幕末の斉昭で狂気のピークに達し、これが「桜田門外ノ変」を惹き起こし、大老;井伊直弼に対する「天誅」を実践することになる。幕府のお膝元、それも「江戸城内」に当たる場所で、政権の最高責任者を暗殺したのである。この事件の解釈は、これまで述べてきた水戸藩の狂気を思えば難しいテーマでも何でもなく、「解釈」を要するほどのことではない。単なる狂気のテロリズムである。ところが、私の尊敬する司馬遼太郎氏はこれについては大変な罪を犯している。司馬氏は、すべての暗殺を否定すると断言する、その同じ舌で「ただ、桜田門外ノ変だけは「歴史を進展させた」珍しい例外」であると断じ、このテロを高く評価するのだ。驚くべき稚拙な詭弁だと言わざるを得ない。「歴史を進展させた」という一言で、司馬氏がどういうスタンスで幕末史を語っているかが明白に顕れている。司馬氏には、人物で言えば三つの過ちがある。坂本龍馬(司馬氏は「竜馬」という表記で逃げ道を作っている)、吉田松陰勝海舟の三人を高く評価した点である。既に述べたことであるから繰り返さないが、司馬史観というものがあってその核に「桜田門外ノ変」とこの三人の存在があるとすれば、司馬史観とは大いなる罪を犯していると言わざるを得ない。そして、それは創作された虚構に過ぎない。私は、これには陸軍戦車隊に所属していた司馬氏の個人的な体験が大きく影響しているとみているが、これについてはここではテーマから外れるのでこれ以上触れない。お断りしておくが、私は己の古里の領主であった井伊直弼という大老を殆ど評価していない。ただ、そのこととテロリズムの肯定、賛美とは全く別物であることを強調しておきたい。

思えば、自業自得とはいえ水戸藩も哀れである。藩内抗争が御一新後も続くところが「狂気」とする所以だが、「大日本史」が完成したのは日露戦争も集結した明治三十九年(1906)のことであった。完成した「大日本史」を献上した相手は、水戸学に拠って「尊王思想」を利用した右翼テロリズムによる政権奪取に成功した薩摩・長州政権である。これに虚しさを感じなかったところが、どこまでも水戸藩であるとしか言えない。

水戸光圀は、初代;徳川頼房が家臣の妻に産ませた子であるが、徳川家康の孫に当たる。この男から水戸藩の狂気が始まったことを思うと、徳川幕府は成立当初から身内に倒幕勢力の芽を抱えていたことになる。何とも皮肉な話である。そして、幕末の徳川斉昭には水戸光圀との類似点が多々あることを思うと、斉昭を海防参与としたことは、阿部正弘の大いなる失策と断じざるを得ない。「桜田門外ノ変」に代表される通り、カッとなると直ぐ「無断出府」して平気で法秩序を壊す水戸人について、幕末から明治にかけて活躍したジャーナリスト;福地桜痴は、

『激烈なる、水戸の如きは太(はなは)だ罕(まれ)なりき。水戸一藩内にては、上は家老・用人よりして、下は学校の諸生に至るまで、皆悉(ことごと)く党派の渦中に巻籠まれて、相互に敵になりて争いたりければ、烈公(斉昭のこと)の名望威力を以てするも、これを協和して一団たらしむるを得ず』

と記している。

長州のチンピラとも言うべき若い吉田松陰は水戸学の中心人物;藤田東湖を尊崇したが、藤田東湖とは学者らしからぬ色の黒い大男で、顔もいかつく、御一新が成ってから薩摩の要人が「まるで盗賊の親分」のようだと語ったという話が残っている。「水戸藩の狂気」と聞けば、大概の方は「天狗党」について述べるのだろうと思われただろうが、「天狗党」の存在やその乱は水戸藩の本質からすれば、残虐極まりない事変ではあったが、単なる一つの枝葉に過ぎない。

« 雪 | トップページ | 「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の七 昭和維新) »

武家の佇まい」カテゴリの記事

コメント

革命家??
歴史はマンガではありません。

革命家??
歴史はマンガではありません。

そもそも高杉晋作が長州の藩論を変えなかったら、明治維新は起こらなかった。その高杉を育てた吉田松陰をチンピラというのは納得できない。革命家だろ。

司馬氏が公家かぶれ??
どこをどうお読みですか??

 司馬さんを武家(武士)かぶれというのならわかるが、公家かぶれなんて意味不明。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 雪 | トップページ | 「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の七 昭和維新) »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ