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2012年2月 8日 (水)

風に吹かれて三度笠(其の三 意地と情と男と女)

番場の忠太郎(『瞼の母』)、沓掛時次郎といった長谷川伸の生み出した股旅ヒーローの系譜には、その他に、駒形茂兵衛(『一本刀土俵入り』)、関本の弥太郎(『関の弥太っぺ』)、鯉名の銀平(『雪の渡り鳥』)、木場の政吉(『中山七里』)などがいる。私の中では、橋幸夫のヒット曲でお馴染みの佐久の鯉太郎なども同系のヒーローである。いずれも、映画、舞台、股旅歌謡で大衆の心を強く摑んだ、忘れ得ぬヒーローである。それぞれが何度も映画化され、舞台化され、何人もの歌手によって唄われた。

例えば、「沓掛時次郎」の場合。

股旅演歌としては、お馴染み;橋幸夫以外に、天童よしみ坂本冬美、古くはフランク永井の作品がある。(坂本の楽曲は橋・天童の佐伯孝夫・吉田正作品とは全く別作品) 映画になると、昭和4年を皮切りに戦前に4回、戦後に4回、合計8回も映画化されており、テレビのドラマ化は5回、その他近年ではマンガにもなっている。この中でもっとも評価の高いのが、昭和36年、大映から公開された市川雷蔵主演の作品で、相方は新珠三千代。この時の主題歌を橋幸夫が唄い、不滅の大ヒット曲となった。市川雷蔵という伝説の映画俳優の、伝説の名作である。この時の撮影(カメラマン)が宮川一夫と聞けば、映画好きならずとも驚かれるであろう。

この作品の大映京都の宣伝コピーが面白い。

恋の長ドス浅間に光る、

意地と度胸の渡り鳥!

原作に想いを至せば、コピーとしてはこれはちょっといただけないが、映画が大衆娯楽の王様で、日本映画の黄金期のことである。原作者;長谷川伸先生はこの時まだご存命であったが、苦笑いをされていたことであろう。時次郎の故里;長野電鉄・追分駅に中軽井沢商工会の建立した記念碑があるが、この碑文の方がまだ上等である。

千両万両 枉(ま)げない意地も

人情搦(から)めば 弱くなる

浅間三筋のけむりの下で

男 沓掛時次郎

また、鯉名の銀平(原作は「雪の渡り鳥」)の場合。

何といっても、三波春夫の大ヒット曲がある。このヒットは、昭和32年のことであった。最近、中村美津子がカバーしている。(中村の方が上手い) 三波春夫の『雪の渡り鳥』(清水みのる作詞、陸奥明作曲)は、昭和32年に公開された大映映画『雪の渡り鳥』の主題歌であった。映画では、鯉名の銀平を長谷川一夫、お市を山本富士子が演じた。当代一の美男美女コンビの映画が当たらない訳がない。私の知る限りでは、この作品の映画化はこの時が三度目であった。昭和32年といえば、私は小学校四年生であったはずだが、この唄は『沓掛時次郎』と同様、今でもソラで唄えるから恐ろしい。

♪合羽からげて 三度笠

どこをねぐらの 渡り鳥

ぐちじゃなけれど この俺にゃ

帰る瀬もない 伊豆の下田の

灯が恋し

♪はらい除けても 降りかかる

何をうらみの 雪しぐれ

俺も鯉名の 銀平さ

抜くか長どす 抜けば白刃に

血の吹雪

股旅ものには必ずご当地がある。沓掛時次郎なら信州・沓掛、瞼の母なら近江・番場、雪の渡り鳥は伊豆・下田といった具合である。他国を知らぬ田舎の少年は、股旅歌謡を聞きながらまだ行ったことも、見たこともない下田という鯉名の銀平の故里を、鮮やかなビジュアルとして思い浮かべるのだ。ストーリーと歌詞から思い浮かべるその地の雰囲気は、独特の精緻さを以て後年に至るまで私の内で生々しく生きており、後に現地を訪れることがあっても失望した例(ためし)は一度もない。

そういえば、『一本刀土俵入り』で、水戸街道・取手宿の旅籠「我孫子屋」の二階から空腹でふらつきながら通りかかった茂兵衛に情けをかけた酌婦;お蔦の故里は越中・八尾であった。今や「小原風の盆」ですっかり有名になった、あの八尾である。お蔦も、母を想い語る茂兵衛につられて思わず生まれ故郷の「小原節」を口ずさんでいたのである。

『関の弥太っぺ』;弥太郎の故里は、常陸・関本である。彼は、妹を探して信州まで足を延ばしたが・・・最後まで自分を慕っていたと聞かされた妹は既に死んでいた。ここから目的を失った弥太郎は、無宿渡世に命を張ることになる。昭和38年に公開された、中村銀之助主演の映画(東映)のラストシーンと垣根越しの男と女のカットは、あまりにも有名である。

「旅人さん、私のお兄さんになってくれませんか」

「あっしは妹のところへ行くだけが願いで」

「妹さんが羨ましい」

女は十朱幸代さん(彼女には「さん」をつけなければいけない)であったが、ここでまたまた錦之助の名セリフ。

「お嬢さん、この娑婆は辛えこと、悲しいことばっかりだ。だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃ、また明日になる・・・ああ、明日も天気か・・・」

そして、ラストは、たった一人で飯岡一家の待つ行き止まりの一本道を行く弥太郎。カメラが引いて、三度笠をぽんと空に投げる後姿の弥太郎と彼岸花。「死人花」ともいわれる彼岸花は、弥太郎の目の前の運命を暗示している。勿論、こういう時は遠くで鐘の音がぼ~んと響く。

そうなのだ、股旅ものにはご当地があって、その土地との柵(しがらみ)を舞台装置として必ず男と女がいるのだ。そして、男と女を引き立てる存在として妹や母がいる。凶状もちの男は堅気の女の気持ちを知っても決して口説きはしない。背では泣いても涙は見せず、女一人が涙に咽ぶ。そして、行き着くところで女のために命を棒に振る。大概、そういうことになっている。

股旅というものを創り上げた長谷川伸は、無宿渡世の股旅を次のように定義している。

『男で、非生産的で、多くは無学で、孤独で、いばらを背負っていることを知っているものたちである』

浮世の義理、渡世の義理に縛られ、意地を通すが情には勝てず、だからといって決して男と女が“できたり”しない、無宿渡世の渡り鳥と女の恋は必ず純愛なのである。この社会では一時(いっとき)「3K」「3高」などといわれる男がもてたが、男と女の間に普遍と呼べる何ものかが存在するならば、そんなものは直ぐ廃(すた)る。結局男は、無宿渡世に限るのだ。

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