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2012年2月13日 (月)

風に吹かれて三度笠(其の四 次郎長三国志)

股旅、三度笠を語って清水次郎長を無視して通る訳にもいかない。実際のところ、長谷川伸の生み出した番場の忠太郎沓掛時次郎、はたまた鯉名の銀平関の弥太郎たちに並んで、映画・芝居の世界で次郎長は大活躍していたのである。映画の全盛期に至るまでの長い時代を通して、むしろ次郎長がその中心にいたといっていい。次郎長は、実在の侠客である。明治26年まで生き永らえた実在の博徒が、長谷川伸の筆が生み出した番場の忠太郎や沓掛時次郎といったヒーローたちと全く違和感なく横一線となって、銀幕で活躍していたのだ。勿論、次郎長もまた正義のヒーローであった。ただ、忠太郎や時次郎が、孤独な、どこまでも個としてのヒーローであったのに対して、次郎長は一家を束ねるリーダーとしてフィクションの世界へ“なぐり込み”をかけてきて活躍したのである。

例によって股旅演歌を挙げるが、次郎長に関するもっともポピュラーな歌謡曲は『旅姿三人男』(宮本旅人詞・鈴木哲夫曲)である。もともとは、昭和14年にディック・ミネが唄って大ヒットしたものだが、この唄ほど多くの歌手によって唄われた股旅演歌は他にはないであろう。

旅姿三人男

♪ 清水湊の名物は

お茶の香りと男伊達

見たか聞いたか あの啖呵

粋な小政の 粋な小政の

旅姿

♪ 富士の高嶺の白雪が

とけて流れる真清水で

男磨いた 勇み肌

なんで大政 なんで大政

国を売る

♪ 腕と度胸じゃ負けないが

人情からめばついほろり

見えぬ片眼に 出る涙

森の石松 森の石松

よい男

蛇足に過ぎるが、大政小政森の石松は、次郎長一家の主要な子分たちである。私は、少年時代、桶屋の鬼吉の方が好きだった。

ディック・ミネは、戦後もこれを唄い続けたが、鶴田浩二石原裕次郎橋幸夫石川さゆり、そして、近年では天童よしみ氷川きよしも“参入”している。

そもそも「次郎長もの」は、村上元三の長編小説『次郎長三国志』がベースとなっている。歌も舞台も映画も、すべてこの小説があってこそ存在し得たのだ。村上元三は、既述した通り長谷川伸の門下生の一人であった。

村上元三の『次郎長三国志』が『オール読物』に登場したのは昭和27年であった。昭和27年・・・ようやく日本が独立した年である。独立していなかったら、この小説を長期に亘って連載することは不可能であったろう。GHQは、「チャンバラもの」は軍国主義の礼賛に通じるとして、厳しい統制を布(し)いていたからだ。尤も、村上はそれ以前に朝日新聞に『佐々木小次郎』を連載しているが、これもGHQを通すのに大変だったらしい。

今、平成人は一時期とはいえ日本が独立国家ではなく、外国軍に占領されていた事実を知らないであろう。知識として知っていたとしても、歴史事実としてほとんど実感をもっていないと見受けられる。占領軍は、学校教育をも厳しく統制し、「書道」「華道」「柔道」「剣道」など、「道」と名の付くものはすべて軍国主義に結びつくとして排除した。独立後も日教組が「反日」という占領軍精神のお先棒を担ぎ、私どもは書道や柔道といった「道」と名の付く教科の教育を、公教育の場では全く受けていない。(それでも平成人よりましな文字を書くが) そのような「反日」精神こそが国際正義だとする気狂いじみた日教組メンタリティが、今の政権与党;民主党の根幹を為す構成要素となっていることをゆめゆめ忘れてはならない。

さて、村上元三の『次郎長三国志』を原作として映画もシリーズで製作されたのだが、これがまたけたたましい。まず東宝が製作したのだが、昭和2712月に公開された『次郎長三国志 次郎長売出す』を皮切りに昭和297月公開の『次郎長三国志第九部 荒神山』に至るまで、僅か一年半の間に9本もの作品がシリーズとして製作された。すべてモノクロであったと記憶している。監督は、昭和日本映画の祖とされるマキノ雅弘である。マキノは「早撮りの名人」と言われた監督でもあるが、当時の映画会社(配給会社)は、現場に対して無茶苦茶な要求をした。美空ひばりなども、一年間に1213本の主演作を撮ったことがある。それが当たり前の時代であった。こういうスケジュールで製作していくと、シリーズといいながらキャストが途中で交代するなどということも起こる。更にこの『次郎長三国志』では、村上元三の小説を原作としてスタートしながら映画が原作を追い越してしまったのだ。従って、このシリーズは、途中から“オリジナル”であったといっていい。無茶苦茶というか、大らかというべきか、とにかく日本映画の全盛期にはマキノの『次郎長三国志』は大車輪で公開され続けたのである。では、このシリーズが粗製乱造であったかというとそうでもない。『キネマ旬報』の編集長などを務め、我が国映画評論の第一人者であった白井佳夫は、この東宝版『次郎長三国志』を我が国映画界の最高峰に位置する作品であると評している。

余談ながら、俳優;津川雅彦はマキノの甥に当たる。平成になってから彼が監督を務め、『次郎長三国志』を撮ったのも、身内の歴史に突き動かされてのことであったろう。

映画『次郎長三国志』は、60年代に入ると今度は東映で製作された。監督は、やはりマキノ雅弘であった。東映版は、昭和3810月から同408月までの110ヶ月の間に4本が製作された。このシリーズも、村上元三の小説を原作としている。この時も、他の作品とのバッティングで、キャストが途中で変わるという事態が頻出した。さすがに、次郎長は鶴田浩二でシリーズ全体を通した。

かくして、私どもは『次郎長三国志』を通して、清水の次郎長の正義漢としての大活躍を知り、次郎長一家の個性溢れる子分たちを、そのキャラクターの細部に至るまでを知悉するようになり、認識としては番場の忠太郎や沓掛時次郎と同じ仁侠に生きる渡世人として同列に位置づけていたのである。

ところが、既述した通り、また誰もが知っている通り、次郎長は実在した博徒である。ちょっと詳細に調べれば、『次郎長三国志』に於ける次郎長とは余りにも乖離した次郎長が幕末に存在したのである。そして、映画『次郎長三国志』では、常に竹居の安五郎黒駒の勝蔵が憎っくき敵(かたき)であった。映画では、顔つきからして如何にもワルであった。(東映版では後に名優となった方が勝蔵を演じていたが、昔の記憶のこと故、ご容赦願いたい)実は、竹居の安五郎、黒駒の勝蔵も実在の博徒である。しかも近年、竹居の安五郎の生家から約400点にものぼる貴重な資料が公にされ、幕末博徒の動向がかなり詳しく解ってきたのだ。

さあ、そうなると次郎長を「街道(海道)一の大親分」として、単純に勧善懲悪の正義のヒーローとしてのみ捉えることができなくなってくるのだ。次郎長は文政3年(1820)生まれである。つまり、幕末の動乱を生き抜き、御一新をくぐり抜けているのだ。竹居の安五郎や黒駒の勝蔵も同様である。彼ら、幕末の無宿渡世の博徒が、この動乱期をどう生きたか。御一新の動乱とは、決して武士階級の者たちだけが関与したものではない。実はこの時代の無宿渡世の博徒もまた、この大動乱の渦に巻き込まれ、時に能動的に関わっていったのである。

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