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2012年3月15日 (木)

風に吹かれて三度笠(其の六 武居村無宿安五郎の島抜け)

「上州無宿紋次郎」などという言い方をする。お馴染み「木枯し紋次郎」は、「上州無宿」である。上州新田郡三日月村の百姓・紋次郎に名字はない。

無宿とは何か。ひと言でいえば、「宗門人別改帳」(しゅうもんにんべつあらためちょう)から名前を外された者のことである。名前を外されるところから「帳外」(ちょうはずれ)ともいわれた。「宗門人別改帳」とは、乱暴に言い切ると江戸期の戸籍台帳のようなもの、といってもいいだろう。これは、遡ると秀吉時代の「人別改帳」に行きつくことは明らかである。秀吉時代のそれは、「夫役」(ぶやく)を課す必要性から作られた。

実は、この「宗門人別改帳」は歴史を正しく知る上では非常に重要な資料である。我が国にこれがあったことは、後世の我々にとって大変な幸運であったといっていい。歴史人口学という学問ジャンルが確立しているが、我が国の歴史人口学の成立は、この「宗門人別改帳」に負うところが大であることは言を待たない。ヨーロッパには「教区簿冊」Parish register)というものが存在する。ヨーロッパには、というのは正確ではなく、キリスト教の教会には必ず存在する記録で、日本のキリスト教教会にも備わっているはずである。これには、誰に洗礼を授けた、誰と誰が結婚した、誰が死んだという大きくいえば三つのことが牧師の日記のように記録されている。三つのこととはいえ、誰に洗礼を授けたか、ということについていえば、誰それの子供の誰に、となるから、それなりに幅のある記録であるといえる。結婚にしても、どこそこの村の誰と結婚した、となれば、大袈裟な言い方をすれば「人口動態」的な側面もあるのだ。フランスのルイ・アンリという人が、この「教区簿冊」を使って「家族復元」という整理を試みた。私にはその詳細を語れるほど「教区簿冊」に関する知識はないが、要するにこれが歴史人口学のスタートであると広く認識されている。アンリは、多数の「教区簿冊」を整理し、18世紀以前まで遡って、当時の人びとが大体何歳くらいで結婚したか、何人くらい子供を産んだかというような人口に関する幾つかの指標を明らかにしたのである。

ところが、我が国の「宗門人別改帳」という資料はキリスト教社会の「教区簿冊」より遥かに優れた人口資料なのだ。まず、これは世帯が単位となっている。ルイ・アンリは「家族復元」をやって名を残したが、「宗門人別改帳」の場合は「復元」などやらなくても家族の状況が解るようにできている。どういう世帯がどういう人たちで成立しており、その村が何世帯あって、何人が住んでいたかまで解るようにできている。どこへ嫁に行ったかも記録されている。私どもの年代のビジネスマンなら初歩的な知識としてよくご存じだろうが、人口には静態人口動態人口がある。今でも「人口動態統計」などという統計データの名前を耳にする方も多いはずだ。「宗門人別改帳」からは、この「静態人口」と「動態人口」の両方が解るのだ。江戸期に既にこういうデータが存在したことは、世界史的にいえば「奇跡的」といってもいいだろう。しかもこれが、基本的には毎年作られたのである。こういうことは、イギリスやフランスではあり得ないことであり、世界中のどこにも存在しないことであろう。「教区簿冊」を使って展開された歴史人口学の手法を「宗門人別改帳」に当てはめれば、我が国の歴史人口学は大きな成果を挙げられるのだ。

実は、我が国にはルイ・アンリ以前からこの「宗門人別改帳」を使って出生率や死亡率などを整理していた学者がいた。慶応大学の野村兼太郎教授である。昭和30年代のことだ。教え子の速水融(あきら)氏が跡を継ぎ、速水氏が日本の歴史人口学の草分け的存在の一人となった。速水氏は、「宗門人別改帳」を使って、江戸期の人口について驚くべき事実を次々と解明されている。本ブログエッセーは、この形はそろそろ閉じるので、これについてはもはや述べる機会もないが、「歴史人口学で見た日本」(文春新書)や「江戸の農民生活史」(日本放送出版協会)などを一読されると目が覚める方も多いはずである。氏は、平成21年、文化勲章を受章された。

なお、「宗門人別改帳」を宗教調査であるとして、鎖国やキリスト教禁教政策と短絡的に結びつけるだけの歴史家がほとんどであるが、これは根本的に誤っていることを付言しておく。

余談が過ぎた。

「無宿」とは何ぞや、が歴史人口学の話になってしまったが、要は江戸期の戸籍といってもいい「宗門人別改帳」から外された、即ち、抹消された者を「無宿」といった。

江戸末期;天保から幕末にかけて、無宿者が溢れた感がある。甲州博徒の大物;“吃安”(どもやす)こと竹居の安五郎、その弟分で、常に次郎長の敵役として描かれた黒駒の勝蔵、幕府を震撼させた下総;勢力(せいりき)富五郎、武州石原村から現れたヒーロー;幸次郎、新撰組;伊東甲子太郎グループを支えようとした岐阜の水野弥三郎等々。彼らは、講談や浪曲の世界でヒーローとなったが、すべて実在の人物ではあるが、官軍正史には登場しない。つまりどこまでも稗史(はいし)のヒーローに過ぎないが、実は正史に登場する人物以上に華々しく、ダイナミックに生きたのである。歴史が生身の人間の営みを正しく描くものであるならば、稗史の登場人物を、稗史だからといって排除して歴史は成り立たないであろう。

嘉永六年(1853)といえば、黒船が来航した年である。ペリーが浦賀沖に現れたのが旧暦六月三日。その五日後の夜、伊豆七島;新島から七人の流人が「島抜け」を敢行した。島流しというと、八丈島ではないかと思われる方も多いだろうが、舞台は新島である。実は、新島も流人の島であった。「島抜け」は大罪も大罪である。歴史上、「島抜け」を成功させた流人は、ほとんどいないのではないか。ところが、この七人の「島抜け」は、大筋に於いてほぼ成功しているのだ。「七人の侍」「大脱走」The Great Escape)をミックスさせたようなこの「島抜け」を敢行したのは、以下の七人である。

武居村無宿     安五郎

大館村無宿     丑五郎

河内村無宿     貞

万光寺村無宿    造酒蔵

無宿        角蔵

岩槻宿百姓音五郎弟 源次郎

草加宿無宿入墨   長吉

安五郎以外は全員2030代の男たちで、どうやら実質的な首謀者は丑五郎、貞蔵、角蔵の三人、彼らは安五郎を頭目として担いだ。三人はまだ20代のチンピラである。博打であげられたか、義理が絡んだ出入り騒動でとっ捕まったか分からぬが、40代に乗った安五郎はこういう若造とは格が違う。武居の安五郎といえば、甲州博徒を代表する親分格の大物ヤクザである。そもそも、生家の格が違う。安五郎の生家;中村家というのは武居村の名主を務めたことがあるだけでなく、代官に代わって警察権を委任された「郡中取締」役に就いたことさえある“名門”である。社会秩序を殊更重視した江戸期という時代は、百姓にも多層な身分があり、厳然とした身分間差異が存在したことを知っておかれた方がいい。

首謀者三人は、若さ故の勢いはあったろうが、「島抜け」という大事を成功させるとなると、技量や決断力、統率力といった面で安五郎の経験に裏打ちされたリーダーシップを必要としたのであろう。

この「島抜け」の見事さは、その端緒に既に表われている。何と三人は、島役人に書置きを残したのである。「島抜け」という大罪を犯す罪人の、島役人、つまりは「お上」に対する挑戦状である。「書置申一札之事」と題されたこの書状は、

「私共義去年四月十五日より此度之一件相談合きまり~」

と書き出し、安五郎に相談して賛同を得たこと、造酒蔵たちを連れて行くことなどを告げ、

「~右之趣如斯ニ御座候  

六月今晩   丑五郎 貞蔵 角蔵

嶋役人(殿)」

と結んでいる。

今のヤクザとのインテリジェンスの差をお感じになることだろうが、中で通告されていることは無宿渡世の者らしい内容である。

要約すると、「島の百姓は、島抜けに必要となれば手当たり次第に人足として使うので承知されたい。また、市郎左衛門と弥次右衛門という者は、これまで我々流人に対して、身分も弁(わきま)えず不届きな行為が目にあまり、我慢の限界を超えたので見せしめとして討ち果たしていく。更に、抜船の相談をしてきたので、中には訴え出る者が間々あるものなので、そういう者も討ち果たしていく。お手数をお掛けするが、死体の後始末をよろしく」

というものである。

七人は、まず名主;前田吉兵衛宅を襲った。目的は、鉄砲である。新島は韮山代官の支配下にあるが、島には代官所の手付も手代も、本庁に当たる勘定奉行の配下もいない。つまり、島に武士は一人もいない。治安維持上の非常時に備え、神主;前田家と名主;前田家に鉄砲が下げ渡されていたのだ。七人は、名主;前田吉兵衛を殺害。備え鉄砲二丁を手に入れ、島民;市郎左衛門と喜兵衛を拉致。浜で源兵衛の持ち船を奪って、この船の船子であった拉致した二人にこれを操船させ、伊豆・網代方面へ向けて島を脱出した。すべてが計画的であった。

それにしても、伊豆へ向かう、それも網代へ向かうとは、捕縛されに行くようなもので、大胆不敵としか言いようがない。そこは、韮山代官のお膝元である。

新島の島役人が追跡のための「追船」を出したのは、翌六月九日。この日、ペリーが久里浜に上陸した。

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