カテゴリー「医者嫌い」の24件の記事

2010年6月 7日 (月)

結局、「誤診」じゃないの?

約二週間の入院だった。

この入院は、検査入院だった。本ブログでも何度かご報告した通り、肺がんかどうかの確定診断を下すについてなかなか確証が得られず、検査入院となった。ところが、入院後気胸が発生し、この治癒を早める為に酸素の吸入を行ったりして単なる検査入院とは言えない様相を呈し、胸水を抜くという「治療」もあって私の身体は「病人」のそれになってしまった。個室とはいえ病院での生活は、やはり病人を創ってしまうようだ。尤も、気胸を起こして、胸水が溜まっていれば立派に病人だと言えるかも知れないが、もともと「病人」であるという自意識=自覚を持ち合わせていない人間でも、二週間も病院暮らしをやれば立派に病人になってしまうものである。

胸水は、病理検査にも回された。三度に亘って検査に回された。つまり、この二週間で三度胸水を抜いた。また、私は痰の出ない性質(たち)で、痰を採取して検査するということができない。そこで、胃液を採取された。目覚めた直後の人間の胃には、痰も溜まっているという。痰を外へ出さない人間は、体内で処理しているのだ。人生二度目の胃液採取。胃カメラを一度も飲んだことのない人間が、二度も胃液を採られるという間の悪さ。そして、連日の胸部レントゲン検査、連日に近い採血、更にはCT検査。やはり、これは紛れもなく検査入院だと実感したものだ。

私の担当医師団は、前回も触れた通り三名。全員が若い。しかも、内二名が女性、主治医は女性という、私にとっては願ってもないチームである。主治医のNS医師が、ある日言った。

「残念ながら、今のところはまだ尻尾が掴めません」

私は、内心、笑ってしまった。このチームは、よほど私の肺がんの確定に一生懸命だったとみえる。そして、それを願っていたとみえる。肺がんの確証が得られない、その時点の検査結果について、「残念ながら~」ときた。それに「尻尾が掴めない」という表現も笑える。明らかに「肺がん」という犯人がいて、そのことが明白に分かっているのに足取りがまだ掴めない・・・まるでそんな感じではないか。悪かったねぇ、NSちゃん、がん細胞がめっからなくて~とでも言いたくなる、そんな検査結果の解説を受けていたのだ。

六月五日、土曜日、朝早めにレントゲン検査を受け、それを確認して医師チームは六日の退院を正式に決め、PCモニターを傍に置いてX線画像や検査データを時系列に表示しながら、これまでの経緯、見解をNS医師が懇切に一気に説明した。これは、非常に解り易かった。特に納得できたことは、医師チームが何故そういう判断をしたかについて、データを提示しながら説明したことである。判断の根拠を示したことである。その時点で、私の胸腔内にはまだ胸水が溜まっている。気胸も完全には治っていない。そういう状況で、何故今後は経過観察で可、という判断を下したか、そのあたりが私にとって解り易かったのだ。現状だけを観察すれば、私自身が退院が怖くなる、そういう現状であるだけに、私はこの若いチームの判断と対応に、どこか他人事のように感心したものである。

そこで改めて思う。

そもそも四月の終わりに、私に肺がんと間質性肺炎という診断を下したのは誰か。五十代の開業医である。

慌てた私は、会社の今後のことなどを顧問会計事務所と相談するなど、最悪のシナリオを描いた対処に入った。小さな組織とはいえ、ここを根拠として回転している生活が幾つも存在するのだ。私のような偏屈な人間でも、組織が小さければ小さいほど代表する者の与える影響は大きい。慌てるのが普通だろう。

今、退院して改めて振り返るのだが、四月終わりの「肺がん」とそれに伴う「間質性肺炎」という初診は、明らかに誤診ではないか。このことは、K大学病院へ外来として通っている時点で既に可能性が高くなっていたが、検査入院までして行った執拗な検査の結果、明白になった。繰り返すが、開業医の初診は誤診である。

肺がんと断定されて肺がんではなかったという事実は、喜ばしいことである。その所為(せい)か、不思議と怒りが湧いてこないのだ。恐らく、時間経過の問題もある。昨日退院してきて今日はまだ静養に当てているが、病人になってしまった身体は何とも覚束なく、心もとないのだ。宇宙から帰還した直後の野口飛行士もかくありなんと得心するほど、身体が不安定なのだ。明日から“社会復帰”する予定だが、社会の厳しい波動を受けて身体がぐらぐらと揺れるのではないかと懸念される。よほどしっかりと足を踏ん張って、意識して胸を張って歩かないと、「病院帰り」が直ぐバレそうな気がする。

こういう数日を経て身体が元に戻ると、そこで初めて今まで眠っていた怒りが目を覚ますのではないか。肺がんでなくて良かった・・・では済まされないだろ! と、改めて怒りまくるに違いない。

実際のところ、どうなんだろう。初診によって大きな精神的苦痛を味わい、それが誤診であったということだから、もし私が、精神的苦痛を味わったことに対する賠償を求めるとやったらどうなるか。恐らく成立するのではないか。

今月は、私の誕生月である。誕生日とは、「冥土の旅の一里塚」である。そう、この歳になると、嬉しさなど微塵もないのだ。

そう言えば、私の誕生日にW杯予選リーグで日本の敗退が確定する。メッシも中村俊輔も、この日に生まれた。サッカーとは縁の深い私の誕生日に、何とも皮肉なことである。ロクな事が起きないであろう私の誕生日・・・イヤなことはあらかじめ予感しておくことが、悲しみや辛さを軽減する、生きる知恵である。

ただ、命について何事かを知らされた以上、誰にとっても限りあるこの命と、真摯に向き合って生きていかなければならない。私にしては殊勝なことを考えている休養日である。

2010年5月25日 (火)

次の満月の夜に

K大学付属病院へ検査入院と相成った。

検査入院ともなれば気は楽なもので、検査の結果次第では治療の必要もない訳であるから、入院期間中は病院内を散策でもして、この病院の看護婦さんの美人度をチェックしたりと、それなりの楽しみもあるに違いないと思っていたが、甘かった。

初日から、あちこち連れ回され、造影剤を使うからということで昼食も与えられず、これじゃ病気になるのではないかと心配になるような“不本意”な扱いを受けている。何度目かの血液検査、尿検査、心電図、度重なるX線検査、CT検査、エコー検査、そして、脇から左の肺に針をブスリ! 何でも水を40CCほど採ったとか。これは、検体として病理検査に回すそうだ。

例えば血液検査について言えば、そもそも先月15日頃発熱して以来、何度血液検査を受けただろうか。一回に45本採血され、1本にどれほどの血液が入るのか私には知識はないが、そうでなくとも私のように左程血の気の多くない者から採る量としては累計すればこの一カ月の採血量はかなりのものである。今さらながら,恐ろしい話である。この病院の外来採血室で採血されたことも何度かあったが、78人の「採血者」が次々と訪れる人びとの血を吸い取っていく。GW明けの某日、一日に血を吸い取った人数は800人を超えたそうだ。一日に、と言っても病院のことであるからほとんど午前中のみの“成果”である。800人分の血液ってどれくらいになるのだろうなどといちいち考える人間は、採血者には向かない人間であって、78人の採血者は皆、にこやかに、和やかに、淡々と事務的にブスリ、ブスリと注射針を突き刺していく。

X線検査も、短期間に度重なると余計な心配をしてしまう。この一カ月の私の放射線被曝量は相当なものではないだろうか。X線検査に於ける放射線など微々たるものであるらしいが、塵も積もれば山となるではないか。それに、放射線によって身体の中があれほど浮かび上がってくるのだ。塵などと言って済ませられるレベルではないのではないか、ホントは・・・。病院としてはまだ肺がんの可能性も捨てていない今回の検査、その検査で浴びた放射線で悪性腫瘍が発生したなんてことになればシャレにもなりませんからね。

検査の都度、若い担当医がその検査のリスクを説明する。

胸腔内の胸水を管(ドレーン)を通して採取する検査。前述の通り、これによって40CCの水を検体として採ったのだが、このドレナージ術と呼ばれる手法は、肺損傷や出血、感染などのリスクを伴うという。肺損傷は、文字通り挿入操作時に肺を損傷するという事故で、肺は損傷されれば出血するし、空気は漏れる。この確率が約1%。このスコアは非常に高いと言える。また、肋間動脈、肺、周辺臓器を損傷させ、胸腔内出血を引き起こすことがある。そうなると、緊急手術だ、輸血だという大騒ぎとなるが、この確率も約1%。通常、検査による事故や合併症などの発生確率は0.2%とか0.1%とか、コンマの付くパーセンテージであることが多い。ところが、今日の私のケースは、1%、即ち100人に1人、100回に1回・・・思わず若い担当医の顔を見る。医学生のT君が神妙な表情で後ろに控えている。事前にリスクを説明するのはいいことだ。医学的手法に絶対なんてものは一つもないし、医者もさまざまである。しかし、既に当方は個室に身柄を押さえられている。ここで同意書に署名しない訳にはいかないだろう! 環境と状況がもはや抗えないように出来上がっているのだ。担当医とT君の健闘と我が身の幸運を祈るしかないのが現実である。

幸いなことに、夜になってもまだ異変は発生していない。今日は無事に生き永らえたとして、明日は何があるのだろう。今日一日で何枚も同意書にサインしたが、入院期間中にそれは何十枚も溜まるに違いない(まさか!)。数が多くなるにつれて、事故に遭遇する確率は高まる。考えてみれば、一日に800人から吸血して、いや採血して、よく事故が起きないものだ。1%なら80人に異変が起きていることになる。それとも、私を含めて全員、ブスッとやられた瞬間に、既に何かが起きているのかも知れない。それは、次の満月の夜に明らかになる。

長い病院の夜、ロクなことを考えないものだ。

2010年5月17日 (月)

敗北

513日、“肺がん騒動”について再々検査を受けた。

案の定、と言うべきか、肺がんは消えていた。いや、正確には初診に於いて「肺がんとされていた部分」が消滅していたのである。同時に、間質性肺炎も否定された。私は、肺がんでも、それを原因とする間質性肺炎でもなかったのである。要するに、「普通の肺炎」であったようだ。

ところが、これでめでたし、めでたしとはいかなかった。肺に水がたまっているという。担当医はこれを気にした。これが、気に入らなかったらしい。彼の目算では、この日の再々検査で全てが消えて、「ほらっ、綺麗に消えてるでしょう」と言える筈だったようなのだ。結局、来週21日に再々々検査となった。一体、どこまで続くことやら。

可能性ということで言えば、肺がんによって肺に水がたまるということもある。しかし、私の場合は、目下のところ腫瘍マーカーとしての血液検査でも異常値が出てこないのである。そもそも確定診断を得る為にK大学病院へ来る羽目になった訳であるから、こうなったら最後の最後まで付き合うしかないのだ。「どこまで続くぬかるみぞ♪」・・・私に軍歌を教えたのは父であったが、このフレーズだけは、母が常に口にしていた。泥沼にはまり込んだ北支戦線。私の“肺がん騒動”は、父が生死の境を彷徨(さまよ)った北支戦線みたいなもので、完璧に泥沼にはまり込んでしまったようである。

これまでの経緯上、スタッフには聞かれるままに報告をしているのだが、早くも困った事態が現出した。タバコのことである。

これを機に原田は当然禁煙、というのが一夕にして“社内世論”となってしまったのだ。肺がんだ、肺に水がたまっているなどという騒動であるから、当然と言えば当然かも知れないが、正直なところ無念である。

もともと私は、それほどヘビースモーカーではない。近頃はせいぜい一日に十数本というところであった。市川昆監督などと比べれば、可愛いものである。加えて昨今の“禁煙ファシズム”の勢いは凄まじく、事務所の入っているビルでも地下から十六階まで内部では一切喫煙することが出来ない。わざわざエレベーターで下まで降りて、屋外の所定のささやかなスペースの喫煙場所まで行かなければならない。雨の日など一苦労である。そういう環境に居て、五時間、六時間という会議でも入ろうものなら、昼間は殆ど吸えないという日も少なくない。十本に達しない日も多いのだ。

更に、何でも決めつけの激しいアメリカ人に倣って、「知性的な人間はタバコを吸わない」と信じ込む愚かな“知的進歩人”が蔓延している。一方で、マリファナや覚醒剤は猛スピードで愛飲者を増やしているのだから、バカげた話である。

本数の少ない私は、昔からピースを吸ってきた。近年はピースもラインナップを増やし、ピースライトとかピーススーパーライトなどという銘柄まで現れた。JTもバカじゃなかろうか。ピースとは、ニコチンとタールの含有量が多い。突き詰めれば、その含有量の多さを評価して固定ファンがついているのだ。そういう銘柄に、やれライトだ、スーパーライトだといって他の有象無象(うぞうむぞう)の銘柄と同じように軽く、軽くという方向に流されてどうするのか。銘柄の確固とした個性を潰しにかかっているだけではないか。

「タバコを吸う」とは、「ニコチンとタールを吸う」ことである。だとすれば、ニコチン・タールの含有量が多ければ多いほど美味しいに決まっている。この単純な真理に照らせば、殆どの銘柄がどんどん軽くなり、今や0.1㎎が当たり前などという現象は滑稽と言うべきで、では何のためタバコを吸っているのかという根源的な疑問すら湧くのである。永年、そういう愚かさに背を向けて、孤高を守ってきたピースにライトやスーパーライトが登場した時の憤りは今も忘れられない。

缶ピー以外で、数少ないフィルター付きピースのラインナップ中、最もニコチンとタールの含有量が多いのはロングピースである。しかし、この銘柄はピースのブランドカラーを捨ててしまった。いくら含有量が多いといっても、ピースがあの伝統の「ピース紺」を捨ててどうするか。ここでもJTのやることは、愚行と言うに近い。かくしてニコチンとタールの含有量をそこそこ保ち、同時に「ピース紺」を維持しているのは「ピースミディアム」だけであり、私はこれを愛飲してきた。(タバコは「愛飲」でいいのだ)

ところが、この「ピースミディアム」を置いているタバコ屋と自販機が今や希少なのだ。ロングピースやピースライト、ピーススーパーライトなら、その辺の平凡なタバコ屋やその店頭の自販機にある。コンビニにでさえ置いているところもある。しかし、「ピースミディアム」はない。私の知る限りでは、蘆花公園に一軒、飯田橋に二軒、竹ノ塚に一軒、千歳烏山に一軒のみである。

ある時、不覚にも買い置きを怠り、仕事場で「ピースミディアム」が切れた。慌てた私は、例の「不埒な若造」に連絡をとった。彼は営業マンであるから、外を回ることも多かろう、だとすれば、「ピースミディアム」を置いていると思われるタバコ屋を知っているかも知れない。そして、今、外を回っているに違いない。焦っていた私は勝手な推断を行い、どこかで「ピースミディアム」を買って、可能なら当方まで回って欲しいと実に勝手な依頼をしたのだ。彼は、門前仲町で見事に「ピースミディアム」を見つけ出し、四箱を持って駆けつけてくれたのである。四箱とは中途半端な数だが、その店にもそれしか在庫がなかったという。しかし、彼のこの殊勲と評すべき努力で、門前仲町にも「ピースミディアム」がまだ存在することが判明したのだ。「不埒な若造」が成果を上げた貴重な行動であった。

このように理路整然とした理由を以て「ピースミディアム」を愛する私は、一つの仮説をもっていた。それは、あと十年を待たずして「実はタバコと肺がんに因果関係は存在しなかった」ということが医学的に証明されるだろうというものであった。このことは、この期に及んでもまだ信じている。そして、当然のことながら自らもタバコを吸い続け、そのことを体現してみせるつもりであった。ところが、今回の「肺がん騒動」でそれが出来なくなってしまったのだ。生理的にタバコを吸いたくて仕方がないということはない。この、肺がんに対する「タバコ無縁説」を自ら立証できなくなったことが、何よりも無念なのだ。これは、私の敗北と言っていい。

気にせず吸えばいいではないか、と考える読者諸兄も多いかも知れないが、それは甘い。スタッフは意外に厳しいのである。週末にもあるスタッフとお茶を飲みながらの打合せとなったのだが、

「一本だけならいいだろ?」

と言ってみた。そのスタッフは喫煙している。しかし、

「ダメです! Yさんにチクりますよ!!」

とにべもない。

そうなのだ、この問題の中心人物はYちゃんなのだ。誰かが彼女にチクると、ちょっと怖いことになる。私は、目の前で喫煙しているスタッフにストレートに尋ねてみた。

「ウチでさぁ、Yちゃんにチクらないのって誰かな?」

すかさず、

「いませんね!」

恐るべし、Yちゃん! 彼女の求心力は、想像以上に威力を秘めている。その威力は、今私を絞めあげにかかっている。恐らく全員が私を監視し、もしこのビル周辺のどこかで一本でも吸おうものなら、たちまち彼女に連絡が入り、私は絞めあげられるに違いない。

自説を立証出来なくなった敗北の悔しさと“社内世論”の中心的存在であるYちゃんの恐ろしさ・・・初診に於いて私に「肺がん」を宣告した医者に対する恨みは尽きない。

2010年5月13日 (木)

再々検査を前に

手短にでも、このことには触れておかなければならない。

厳密に言えば「生殺し」が続いている。肺がんと間質性肺炎のことである。但し、実質的には、この“騒動”は既に終わっていると受け留めている。

GW明けの6日、K大学病院で再検査を含む再診断を受けた。その結果、13日(もう、今日だ!)に再々検査を行うこととなった。ところが、同時に、

肺がんの可能性は低い

間質性肺炎の可能性も低い

という診断を受けたのである。つまり、13日の再々検査とはこれらを断定する「確認」検査であろう。

正確に言えば、「可能性は低い」というだけで、可能性が消えた訳ではない。今日の夜には、真っ青になっていないとも限らない。その意味では「生殺し」が続いているということになる。しかし、実質的には、この種の問題で「低い可能性」がひっくり返ることもなかろう。

改めて思うが、私の受けた初診は何だったのだろう。「間質性肺炎」とそれを引き起こしている「肺がん」は、初診の段階でほぼ断定されていたのである。正直なところ、覚悟した。小さな組織ではあるが、会社はどうすればいいのか。通常、こういうことは本人が心配するほどのことはないのである。後は何とかなるのが普通である。だが、それは一定規模以上の組織について言えることであって、自分たちには当てはまらないのではないか。いや、それが過信なのだ・・・等々、さまざまに堂々巡りを繰り返した。

簡潔に言い切れば、これは所謂「誤診」だったのか?! そして、この場合、誤診であったことを喜ぶべきか。喜ぶべきなのだろう。しかし・・・。

仕事にミスは付きものである。ミスを犯したからといって、一々部下をどやしたり、ミスから逃げていたりしたら、それこそ仕事にならない。敢えて無責任なことを言うが、二十代などという、生意気だけが取り柄の、勢いだけで生きている時代は、社長が真っ青になるぐらいのスケールのでかいミスを一度ぐらいはやっておくべきだろう。三十代も後半になってそれをやれば、単なるバカである。

とまあ、気の晴れそうなことを考えてみたが、初診の医者は二十代の若造ではない。既に、五十代にはなっていると見受けた。

13日(今日)、今回の初診が「大誤診」であったことが確定したとする。医者嫌いを売りにしている私とすれば、歴史的な激怒をしてもおかしくない筈である。ところが、この二、三日、我ながら不思議な気がしているのだが、なかなか怒りが湧いてこないのである。どうしたことか・・・。怒るエネルギーも奪われたか?

初診から今日まで、短い期間にいろいろな思いが駆け巡ったが、夜が明けたら再々検査である。最終的な答えが出てから、改めてじっくり心の内を覗いてみよう。

2010年5月 1日 (土)

生殺し

幼い頃の私の田舎に「蛇の半殺し」という言い方があった。多分、今の子供たちは使っていないであろうと思うので、ここは過去形とした。意味は説明する必要もないだろう。往時の田舎の子供の生活は、ワイルドと言えばワイルドであり、時に残酷でもあった。

その祟(たた)りであろうか、今、私は「半殺し」ならぬ「生殺し」と言っていい状況に置かれている。

体調に少し異変を感じたのは、414日であった。翌日には身体の節々が痛み、自分も風邪をひくようになったかと、情けなくもあり、“感慨深く”もあった。私はもともと殆ど風邪をひかないタチなのだ。「バカは風邪をひかない」の言葉通り、殆ど無縁であった。16日の夜になると咳もひどくなり、慌てて買ってきた体温計で熱を測ってみると39度であった。「こりゃ、気管支炎だ」と自己判断を下した。というのは、気管支炎というのは私の唯一経験のある疾病で、30代の頃、一度40度ほど発熱して病院のお世話になったことがある。高熱が出る時の感覚というものをその時体験し、それと同じだと感じたのである。16日は金曜日であり、私は、土・日で自力回復すると見込んだ。念の為、市販の風邪薬を飲んだ。

ところが、土・日が明けてもどうもすっきり回復しない。夜になると、38度の熱がぶり返したりする。回復力の落ちていることに無性に腹が立った。

明けた19日、月曜日。この日から1週間会社の健康診断を設定していた。私の知っているクリニックに依頼し、型通りではあるがスタッフ全員、日頃酷使している身体に異常はないか、チェックするのだ。「仕事だと思って全員必ず受診すること!」と、私には余り似つかわしくないフレを事前に何度も流しておいた。勿論、私も受診する。私は、21日(水)を予定していた。19日になっても、熱は完璧には下がらず、身体が揺れるように不安定。しかし、健康診断を受ける21日は目の前だ。健康診断で訪れた時に診てもらえばいい。この判断に従って、19日、20日を耐えた。そして、健康診断が設定されていた21日。クリニックの受付に立った私は、どう見ても「健康」を「診断」するまでもない状態に陥っており、「診断」より「診察」ということになり、直ぐ胸のレントゲンを撮られた。この期に及んでも私は、胸のレントゲンは「健康診断」でどうせやることだなどと考えていたのだが、再び通された診察室で医師の顔色がすぐれず、彼は憔悴したように

「肺炎ですね・・・それも間質性肺炎の可能性が高いですね」

と告げた。

そして、直ぐCTを撮るということになり、翌々日の23日(金)、CTMRIの専門機関でCT撮影となった。そう言えば、今年は例の視野欠損の問題で過日、脳のCT検査・MRI検査をやったばかりである。今年は、検査と称して結構な量の放射線を身体に浴びているなぁなどと考えながら、CT検査のフィルムを受け取り、それを持ってクリニックへ急いだのである。

実は、この時点でまだ私は「間質性肺炎」の恐ろしさを実感していなかった。説明を受け、頭では理解しているつもりなのだが、身体が受け付けていないのだ。医師の説明に加えて自分でも調べてみたのだが、それらを信じていなかったということではない。多分、医師の言う通り「間質性肺炎」なのだろう。しかし、どこかで「身体主義者」の私の身体感覚がそれをまだ十分に受け容れていなかったのだ。

間質性肺炎とは、美空ひばりの命を奪ったことで知れられる。彼女の命日は、私の誕生日であるという意味のない関連を考えることがあったが、このままだと間質性肺炎というもう一つの関連が加わることになる。この肺炎は、普通の肺炎とは全く原因も性格も異なるようで、二つの決定的な特徴をもっている。一つは「致命的」であること、いま一つは「治癒が困難」であることだ。つまり、早く言えば「治るということはなく死に至る」ということだ。具体的には、スピーディに呼吸不全を起こし、死に至るという。慢性的な症状を呈することもあるが、その場合の生存期間は3年から10年とされている。

間質性肺炎の原因は幾つか指摘されるが、薬物に因るケース、先天的なアレルギーに因るもの、放射線に因るもの、そして悪性腫瘍=ガンに因るものなどが挙げられる。これらに当たらず、原因がよく分からないケースを「特発性」と分類することがあるらしい。特発性の間質性肺炎は「特定疾患」に指定されており、完治させる有効な手立てはない。クリニックの医師は、私の肺炎について、当初はこの「特発性」ということを疑っていた。

CT検査結果のフィルムを持ってクリニックを訪れた私は、ここで決定的な診断を受けた。

私の間質性肺炎の原因は、肺がんであるという。肺がんがあって、それが間質性肺炎という現象を引き起こしているというのだ。従って、間質性肺炎のことは一旦思慮の外におき、まずは肺がんのことを考えなくてはならないという。

不思議なことに、私の身体感覚はこの肺がんであるという通告は素直に受け容れた。同時に、今まずやらなければいけないことは何か、次の出版は間に合うか、破棄すべきものと残すものは何かといったことが一気に頭を支配した。医師と話して落ち着いた結論は実に平凡なことで、まず客観的なデータを正確に把握しようということであった。

どこかの専門医と設備の備わった病院へ確定診断を得る為に行かねばならないが、どこがいいか、医師と二人でその選定に入った。医師は、自分の人脈、呼吸器内科専門医の有無、過去の取り扱い件数、私が闘病しながら時に会社へ顔を出すことを想定したロケーション、身内の者が訪れ易いロケーションなどについてさまざまな見解を述べ、私の意見も聞いて最終的に三鷹のK大学病院にしようということになった。予約はクリニックで行ってくれるということで、私は問題のCT検査フィルムと紹介状を持ってクリニックを後にした。診察時間外の静かな診察室で医師が最後に何度も繰り返した言葉が蘇った。

「これは手ごわいですから」

「手ごわい」・・・普通に考えれば、意味するところは一つであろう。

その間仕事は続けて、私がK大学病院を訪れたのは428日であった。朝から土砂降りの雨。最悪の予定が入っている日は、大概最悪の天候となる。

このK大学病院で、再度X線検査や血液検査などを受けて担当医が下した診断・・・これがまた実に厄介な診断であった。先のCT検査フィルムは持ち込んでいるし、クリニックでの検査データも送られている。その上での診断なので、当方は余計に困惑するのだ。

曰く、

    肺がんの可能性はある

    肺がんではない可能性がある

    間質性肺炎ではない可能性が高い

どっちやねん!!

病名を断定することは、素人が考えるほど易しいことではないであろう。しかし、部分的にはクリニックでの初断と明らかに異なっている。これでは、肝心の肺がんの可能性も五分五分ということではないか。つまるところ、どう考えろというのか!

これを、患者の「生殺し」と言う。

当方は、既に切除か抗がん剤治療か、というような闘病方針にまで踏み込んで医師から説明を受けている。その場合、ロケーションとしてK大学病院が適しているかどうかも再検討に入っていたばかりである。

病院では、連休明けの6日に再検査を行うという。私にしてみれば、再々検査である。推量でいい加減なことを言うより、解らなければ何度検査を行ってもいいが、生殺しというのは堪(こた)えるのだ。男と女の間でもそうではないか。その気もないのに思わせぶりな態度をとるのは、男でも女でも罪な話である。付き合う気がないのなら、はっきり言うべきであろう。肺がんなら肺がんでいい、この際! 要は、はっきりせよということだ。

世間様はゴールデンウイークである。これを分散させようというバカ議員が民主党にいるが、混み合うのも、渋滞するのもゴールデンウイークのゴールデンウイークらしい現象だとは思わないか。その「らしさ」があるから、人はそれを楽しむのだという人間の心理を解せぬバカ議員の集まりだからこそ、子供手当などという愚策を思いつくのだろう。世間様の幸せウイークの間、当方は生殺しのままである。やはりこれは「蛇の半殺し」の祟りであろうか。

肺がんという告知を受けた日の帰路、見慣れた景色にも異なった色彩が加わった。駅の改札でICカードの金額が不足したのか、ピンポ~ンと引っ掛かっている人、閉まりかけたエレベーターに息せき切って走り込んできて、恥かしそうにしている女の子・・・全ての人の、とるに足らぬ営みが愛おしく見えた。その中で、己を客観視しなければ、と定めた覚悟が揺らいでいる。いずれにしても、6日こそは確定診断が出る。K大学の下した中途半端な診断を思うと、6日は「丁半バクチ」のサイの目を確かめに行くようなものである。

2010年1月17日 (日)

いつか来た道

周囲の圧力に耐えかねて再開した眼科検診。先の三連休を利用して三回目の検査に行ってきた。私にとって、医者へ行くというのは精神的疲労が大であるから、検査後の精神疲労の回復を考慮すると三連休ぐらいが必要なのだ。前回、肝心の視野検査に辿り着いたというのに、

「今日は、中心部の視野を検査しました」

などと言われた、その続きである。

「中心部の視野」なんてものがあるのか。中心部の視野が欠損していれば、それは「失明」ではないかと怒ったその憤りは、まだくすぶっていたが、私も、腎臓、視野、歯医者と年齢相応に要検査や要治療が出現するようになったこの三年ばかり、かなり人間ができてきている。二回目検査の際の怒りを胸にしまい込んで、沈着冷静に、紳士然として三回目の検査を受けた。そして、三回目もまた“余計”と思われる検査が加わったが、ようやく「周辺部の視野」を検査してくれたのである。端(はな)から「左目の視野欠損」と申告しているのだから、最初からこれをやってくれれば私の精神はもっと平和であったのに・・・。

ところが、世界規模のことであれ、個人の手の届く領域のことであれ、平和の実現というものは、なかなか簡単にはいかないものらしい。結論からいえば、

「次は、脳神経外科へ行きなさい、これが紹介状です」

という、真(まこと)に人の神経を逆撫でする申し渡しをされたのである。散々待たされた挙句に通された診察室では、既に担当医の手許に紹介状が用意されていた。その表書きがまた、実に稚拙な文字なのである。

別に文字の下手なことに怒っているのではないが、肝心の視野はどうなのか。その他、眼科に属する各種さまざまな検査結果はどうだったのか。それについては何も言わぬ。言いたくなさそうに見受けられたので、当方も何も聞かなかった。脳外科へ行けということは、眼科領域では何も問題なく、脳の異常が原因ではないかと疑っているに違いない。

このプロセス、初めて視野欠損を指摘された病院でのプロセスと全く同じである。そうなのだ、私は、いつか来た道をまた歩むことになったのだ。最初のその病院では、脳のMRI検査までやられ、結果はそれでも全く異常は見出せなかった。結局、私の「左目の視野欠損」については、「原因不明」なのである。いつかも本ブログでご報告したが、私は「原因不明」という結論について何の不満ももっていない。世の中にはそういうこともあるのだ。森羅万象、何事も「科学的」に説明できるものなどと考えるのは、人類の傲慢であろう。世の中には、原因が解らないなんてことは、山ほどあるのだ。科学、医学と威張ってみたって、お天道様や八百万(やおよろず)の神々の意志と力からみれば、ままごとみたいなものではないだろうか。

患者が威張ってどうするか、とお叱りを受けそうだが、恐らく脳神経外科で再びMRI検査をやったって結果は見えている。再び、脳の専門医は言うに違いない。

「綺麗な脳ですね~」

前回、私は、この「綺麗な~」が気に入らなかった。多分、あの時の医者は眼科医であったから、言い間違えたのであろう。脳が美しいのであるから、正しく

「良い脳ですね~」

と言うべきところを、いつも人さまの眼球ばかり診ているものだから、ついつい、綺麗―汚いという対句でものを言うクセが出たのに違いない。今回は、脳外科の専門医らしいから、必ずや

「良い脳ですね~」

と、医学的に正しい表現をする筈である。

それにしても、厄介なことだ。また、紹介状を書かれた脳外科医院の予約をとることから始めなければならない。いつその気分になるかが問題であるが、雪解けまでは無理だろう。

この道はいつか来た道

ああ そうだよ

あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘

ああ そうだよ

ほら 白い時計台だよ

今のところ、あかしやの花も、白い時計台も、左後方でない限り、北原白秋が見た色と同じ色で、山田耕筰が感じたであろう同じ感慨で感じることができる筈である。心配はない。

で、再び「原因不明」という結論が出たら、それはそれでどうするか。それは、私に言われても困る。この度の検査通院目的は、あくまで娘たちの気持を無にしないこと、その一点であったから、脳神経外科が終わったらそれで一件落着としていただきたい。そうでなくても、目下歯医者で酷(ひど)い仕打ちを受けている最中であり、「次は内科です」などという、新たな圧力が発生しているのだ。一部に、既に病院まで指定する動きがある。

「冬来たりなば 春遠からじ」

などと古人はカッコ付けて言うが、列島の雪が解けたとしても私の精神に春が訪れる日は遠い。

2009年12月30日 (水)

尾を引くイブの怒り

福澤諭吉が、「西南の役」に関して大久保新政権に対して怒ったということをブログにアップしたのは、確か1223日の深夜、実質的には24日であったが、そのことにつき時間を措かず多少詳しく述べるつもりでいた。人が天下国家の情勢に対して烈火の如く怒ったということは、たたみ込んで話していかないとその怒りの度合いもなかなか伝わり難いものだと思えるからである。ところが、情けない話になるが、その24日、俗世がクリスマスイブとやらで浮足立っている日、私は、実(まこと)に不幸かつ不運な一日を迎えていたのである。

実は、この日、午前中に眼科の検査、午後遅くに歯医者の予約が入っていた。医者のダブルヘッダーである。歯医者は、正確な職業分類では医者には入らぬが、この際そういう瑣末なことは無視する。白衣を着て、医者然としているから、ここでは「医者」の仲間としておく。

自信を以て言うが、私は医者というものが嫌いである。官僚も、政治家も好かぬが、医者という種族に対する嫌悪感はまた異質なものがあり、もはやそれは生理的なものと言っていい。官僚や政治家は、単なる軽蔑の対象であるが、生理的な好悪となると理屈では説明しづらい。

医者が嫌いということは、検査なるものも須(すべか)らく嫌いである。検査を受けて何かいいことがあったという例(ためし)がない。そもそも視野欠損というのも、還暦を迎えた年、生まれて初めて人間ドックなるものを経験し、そこで白日に晒されたものである。本ブログでも、その不幸な検査経緯はご報告した記憶があるが、腎臓の腫瘍も含めて、全ての始まりがその人間ドックであった。それは自らの意志で申し込んだものではなく、当時のスタッフの“陰謀”のようなものであった。そのことは、もはや過去のこととして不問に付すとしても、どうしても医者という種族と相容れぬ間柄の私が、一日に二つの医者と相対峙するということが過去あったろうか。ある筈がない。盆と正月が一緒に来たような~という嬉しいことを表現する言い方があるが、この日の私は「十三日の金曜日と仏滅」が手に手を組んで訪れたようなものである。和洋の不幸が合体して、バテレンの前夜祭の日に襲ってきたのである。

この視野検査が、何事もなく無事に済んでいれば、年末になってまでグダグダ文句は言わぬ。実は、今回の視野検査は今季二度目なのだ。既に先月1114日、身内の強引なセッティングによって一度済ませている。しかし、その日はいろいろな検査をやられ、本来の目的である視野検査まで行き着かなかったのである。1114日というのは、既に他界しているが私の父の誕生日とあって、その日のことはよく覚えているのだ。当方は、端(はな)から「左目の視野欠損」であることを申告している。ならば、まず視野検査をやってくれればいいではないか。余所(よそ)で行った検査結果などどうせ信用しない世界であるから、まず視野検査を行い、欠損の具合を確認すればよかろう。その上で原因特定の為の検査に移ればいいではないか。当方は、それを甘んじて受ける広い度量を以て訪れているのだ。にも拘わらず、まず視力検査から、という按配で、恐らく眼科に属する疾患の全てに適用する検査を一から順番に行う。挙句に、時間切れ。

『視野検査は次回になります』

ちっ! 上等じゃね~か!

『ところがですね~、機械が空いていません。次回は、1224日になりますが・・・』

1114日の次が1224日??

『イブじゃないですか!? 覚えやすいですね!!』

という経緯があって、イブの日の検査となった。

ところが、である。この日も、いろいろな検査をやる。手を変え品を変え、実にさまざまな検査をやる。その中には、確かに視野検査もあった。しかし、終わってから看護婦(看護婦は看護婦である。差別用語でも何でもない)が言うには、

『今日は、中心部の視野検査をやりました。次回周辺部の視野を~』

ちょっと、待てい~!!

中心部の視野とは何か!? 中心部の視野が欠損していたら、それって、「欠損」ではなく「失明」ではないか!!?? 中心部が見えないとしたら、それを「視野欠損」と言うのか!!?? 周辺部が見える、見えないが「視野」の問題だろう!!??

更に、

『前回は何もなかったのに、角膜に傷がついてますね』

それは、検査で傷がついたんだろうが!!! 直接機械が当たります、痛いですから目薬をさしますなどと言って、麻酔目薬を差したではないか! きっとそれに決まっている!

『目薬を出しておきますから。次回の検査は、19日はいかがですか?』

折角、視野検査をやっておきながら、何故「中心部」だけなのか。一度に視野を検査すればよかろう。うちのスタッフで一度に両側の歯を四本、一気に抜いたヤツだっているんだ。視野検査を分断する必要があるのか。歯を四本、一気に抜くことを思えば、「周辺部」の視野検査ぐらい誰でも耐えられるだろうが!

かくして、眼科は年越しである。

その後の歯医者については、もはや書く気力が失せている。間違いないことは、彼らは皆、Sだということだ。そうでもなけりゃ、ああいう惨(むご)い仕打ちを人に対して行える訳がない。

この日、両方を終えた私は、夕刻になってようやく昼食をとり、夜になってひどい下痢をした。繊細な神経がやられたに違いない。医者へ行くということは、それほど心身に堪(こた)えるのだ。

しかし、眼科については、私は覚悟をしている。このことは前にも述べたが、そもそもこの眼科へ行くという事実が重要なのであって、この眼科が誤診しようが、その誤診が原因で本当に失明しようが、それは構わない。私にとって大切なことは、これまでさまざまな事件の火の粉を被らせた身内の心配を無にしない・・・そのことだけである。

ただ、スタッフにもうるさい者がいて、どうやら眼科と歯医者では納得しないようなのだ。彼らの本命は、内科らしい。考えるだけでもぞっとするが、内科へ行かない限り、彼らからの雑音は止まりそうもない。このままでは、私は神経衰弱に陥りそうである。せめて、眼科か歯医者のどちらかを終わらせてからにしよう。同時に三方の敵を引き受けられるほど、私は強靭ではない。

通販のおせち料理も届いたことであるし、正月休みはよく食べ、よく寝て、少し飲んで体力と気力を養い、来春の医者との闘争に備えなければならない。

2009年6月25日 (木)

「ほぼ完治」宣言

「とう骨神経の損傷による右手麻痺」というトラブルに巻き込まれ、やれオーダーメイドギブスだ、指切りげんまんが出来ないではないかなどと大騒ぎをして二ヶ月半。歯切れは悪いが、一応「ほぼ完治」宣言を出させていただくことにする。すっきりと「完治」宣言したかったのだが、正直なところ「ほぼ完治」と、「ほぼ」を付けざるを得ない。

しかし、もう日常生活に何ら支障はない。右手で歯は磨けるし、箸も使える。PCも打てるし、文字も書ける。ただ、文字が少し下手になった気がする。恐らくこれは、「ほぼ」の所為であって、「ほぼ」がとれれば元の“達筆”が復活する筈である。

「ほぼ」を付けざるを得ない最大の要因は、右手親指側の痛覚がまだ完璧に戻っていないことである。親指の付け根から十センチばかり、触っても薄い皮膜で覆われているような感覚が残っている。あとは、右手の握力であろうか。

これらも、時間の問題に過ぎないと確信している。「ほぼ完治」とは、如何にも私らしい控え目な表現であって、生活に支障がない以上、これは「完治」と言ってもいいのではないか。

「完治」したから言うのだが、あの「全治六ヶ月」という診断は一体何だったのか。人を驚かすにも程度というものがある。更に、当初訳が分からず休日に「高度救急救命センター」なるところへ駆け込んだ際、最初に告げられた指示が「禁酒」であった。

「アルコールは神経に悪い。お酒、やめられますか!?」

と、厳(おごそ)かに命令として宣告された。どうやら重傷らしいと悟った私は、

「はい」

と一言、実に素直に答えた。

しかし、白状すると、その日から一日たりともこの命令には従っていない。当日の夜から既に、どこかピンとこなかったのである。

「アルコールは神経に悪い」

・・・この言い方は、何かに似ている。そう、タバコは健康に悪い・・・この類なのだ。ピンとこないことは案の定、実際には何の影響もないのだ。

今日までに確か三回の診察を受けたが、治療ということは全く何も施されなかった。ただ状態を聞かれただけである。そして、ビタミンB12を与えられただけである。PCの打ち過ぎで肩こりがヒドいというスタッフがいたので、この錠剤をプレゼントして喜ばれ、今まだ大量に残っている。

担当医は、一回目の診察時から

「僕たちは怪我に対しては何かが出来るが、神経に対しては何も出来ない」

と告げたが、彼はその言葉通り一貫した行動をとったのである。「神経に対しては何も出来ない」というのは、何となく納得出来る気がするし、その通り全く何もしなかった彼は立派である。これは、決して皮肉ではない。ただ、彼は、来る711日を土曜日だと知りながら、それも朝一番という時間を「最終診察日」に指定した。完治している状態でこれに応じるべきかどうか、迷っている。

オーダーメイドギブスを誂(あつら)えることになったのも、「全治六ヶ月」が前提となったからである。それは、前の稿でも愚痴った通り、ほんの二週間強しか使わなかった。日割り計算をすれば、一日三千円強というオーダーメイドらしい価格となったそのギブスは、医薬品・トイレタリー関連の棚の奥に眠っている。

二ヶ月半で完治したのは、このギブスを外し、敢えて右手に「無理」を強いたからだと信じている。「無理」を通せば、医者の「論理」は引っ込んだのである。バーバリーの安いシャツが、大体一枚一万二千~三千円位である。あのギブス一個で、三枚買える計算になる。

話が逸れるようだが、毎朝時計代わりのテレビでは「天気予報」をやっているが、予報士とやらにもう少し裁量を与え、それぞれが独自の判断で予報してはどうか。気象庁は、データ提供だけにとどめればいい。それをどう「読む」かは、予報士に任せればいい。今のように、気象庁の“広報係”のようなあり方ならレポーターやアシスタント的なスタッフで十分であり、わざわざ予報士などという資格を設ける必要はない。予報士が己の分析力で予報してはじめて専門職と言えるのではないか。そして、予報の結果を競えばいい。当然、あまり予報の当たらない予報士がたくさん出てくることだろう。結果によって、ギャラも違ってくるであろうし、次の契約にも影響を及ぼすに違いない。アメリカなどでは、ずいぶん前からこの方式が成立している筈である。売れる予報士と売れない予報士がはっきり分かれるほど、予報の内容そのものが違うのだ。予報の成績と人気(視聴率)は、必ずしも一致しないだろうが、それはそれでいい。そのような事例は、プロ野球オールスター戦のファン投票からアカデミー賞主演男優賞や芥川賞・直木賞、果てはノーベル文学賞に至るまで世界中に溢れている。これらは全て、客観的な指標があった場合、実際の力、即ち実力と評価が大きくずれていると考えられるのである。具体例で言えば、「アマタツ」は多少予報の成績が悪くても、職を失うことはないだろうということだ。

何故予報士のことに思いが至ったかと言えば、医者の見立ても同じではないかと思ったからだ。医者は、専門職である。専門的な知識と技術をもっている。筈である。専門職が「全治六ヶ月」と断言した症状が二ヵ月半で完治したとなれば、それは専門職の専門知識のレベルが低いということになりはしないか。専門職の見立てが高価なギブスを購入せしめたという点については、明確な因果関係の存在を立証することができる。その場合、専門職に対するペナルティは、裁判を提起し、勝訴する以外に発生しない。全くバカバカしい。

余談ながら、「藪医者」という言葉がある。この語源については、「藪をつついて蛇を出す」という諺に由来するとする説と、「野巫」(やぶ)に由来するとする、二つの説が有力である。「薮井竹庵」という医者がいて~とするのは真っ赤なウソであって、これは「薮医者」をテーマとする落語が創り上げたキャラクターであり、話の順序が逆になっている。「薮医者」という言葉がいつ頃から、どういう人々によって使われたかがはっきりすれば、自ずと語源も絞れると思われる。

恐ろしい話を付け加えると、スタッフがメロンにローソクを立てて誕生日を祝って(?)くれた。何故メロンにローソクなのかについては、別に話題にすることもあるだろうが、恐ろしいと言ったのは、誕生日の回数である。六十数回目である。全く恐ろしいことに、私はそういう領域まで来てしまった。今となっては懐かしいあの日あの頃、このような事態を想像したことがあったろうか。正直なところ、なかった・・・。

こういう領域まで来ると、さすがにいろいろと次が控えている。いつまでも右手ばかりに関わり合ってはいられないのだ。放ってある左目の視野欠損腎臓の腫瘍、そして、二ヶ月近く前には古い時代に施した歯のかぶせ物の一部が欠損した。「医者嫌い」を豪語してきたものの、実態はもうボロボロなのだ。歯医者は正確には「医者」ではなく、大工さんなどと同じ職業分類に当たる、つまり「職人」だ、などと職種にこだわっても何の慰めにもならない。右手が二ヶ月半で済んだというのも、或いは身体がよく知っていて、次にかかれとばかりに早く切り上げたのかも知れない。

どの順番で次にとりかかるとしても、またヤブにも名医にも遭遇することだろう。下手な「大工」に歯をいじられて、別の「大工」で年度末の公共工事みたいに「また、掘り起こし」という事態も十分考えられる。

尤もここまで来て、つまり、余命を数えた方が早いというところまで来て、「完璧な治療」を求める必要もないのではないか。身体の諸器官は余命のある間、無事に稼動すればいいのである。そう思えば歯を掘り起こす「大工」選びに神経を使うこともない。さっさと済ませ、一日二十四時間のうち、「心地良い時間」を一分でも一秒でも長くとる方策を講じた方が得策だと悟った次第である。

2009年5月25日 (月)

無理を通せば論理に勝てる

実は、先週の月曜日から右手のギブスを外している。例の「オーダーメイドギブス」を、である。

この右手トラブルの後、珍しく風邪を長引かせたりしてすっかり体調を崩し、獏とした感情として何やら精神がたるんでいるような気がしたのだ。仰々しくギブスなどをして、すっかり医者に従順な患者になり下がっているではないかと、己の不甲斐なさにだんだん腹が立ってきたのだ。「全治6ヶ月」などと言われ、その見立てが果たして妥当かどうかも考えず、すっかり「医学」という高度な「論理」に洗脳されていたのではないか。

ギブスを外せば、右手は無理を強いられる。例えば、電車の中で左手に鞄を持ち(私の鞄は非常に重い)、電車が突然揺れたら右手は咄嗟に手すりか吊革を掴むに違いない。その時、うまく掴めるかどうか分らぬが、仮に掴んだとしても身体を支える役に立つかどうかもあやしいが、いずれにしても右手は「無理」をすることになる。この「無理」が大切なのではないか。「無理」を重ねれば、必要に応じる形で回復は早まるに違いない。

これは、リハビリの理屈と同じことではないか。リハビリとは、現状では使えない器官を「いじめる」ことで使えるようにすることだと理解している。リハビリを受ける人は、苦痛に顔を歪めて耐えている。密教の荒行みたいなものである。そのことを思えば、私の場合は痛みもない訳であるから、早めにギブスを外して右手に「無理」を強いたとしても、苦痛に顔を歪めるというまでには至らないだろう。尤も、痛みのないのは、痛覚もまだ戻っていないからでもあるが。

更に考えを進めてみると、この「無理」を強いるという方法は、リハビリの理屈に合致しているというより、「進化理論」そのものに当てはまるのではないか。人間という生物も、必要な器官は発達し、不必要になって使わなくなった身体のパーツは退化する。例えば鎖骨は、今も退化の過程にある。筋肉も使わなければ、衰える。電車が突然揺れたら、右手でぱっと手すりに掴まることは、身体を守るためには「必要」な動きと力である。右手の「とう骨神経」は「必要」に迫られ進化する筈である。即ち、今の私の場合は、進化=回復であるから、「無理」と「必要」を強いることは、進化理論にも合致し、誠に科学的であると言わねばならない。

私は、日頃京王線を利用している。新宿に向かって環八を越えると、直ぐ八幡山駅である。この駅前後の線路について私は日頃より欠陥線路ではないかという印象をもっているが、駅に近づくと、また出る際、電車の車体はガクガクと強烈に横揺れする。車掌は、必ず注意を喚起するアナウンスを欠かさない。強く揺れることも、注意のアナウンスのあることも常のことで、これが京王線八幡山駅の常態である。常日頃は忌々しく思っているこの欠陥線路が、この度の「無理」を強いるという我流の治療策には格好の訓練ポイントになっている。

左手に重い鞄を持ち、そろそろくるぞ!と身構える。ガクっと電車が揺れる。サッと右手を目の前の手すりに差し出す。う~ん・・・何とか間に合っているが、掌の部分を手すりに押しつけるようにして身体を支えているだけで、まだ完璧に咄嗟に手すりを「握る」という形になっていない。まだ水の入ったコップを安全に持てないという程度の握力では無理もないかも知れない。それに、八幡山駅だぞ~というだけで、予(あらかじ)め身構えるから、厳密には「咄嗟に」とは言い難いものがある。

何やかやと、こういう“訓練”を始めた次第である。

ギブスを外そうと決めた数日前、「針筋電図検査」なる検査を受けた。簡潔に言えば、「とう骨神経」の損傷の程度を図る検査だということである。この検査は、損傷を受けた直後に実施するより一定時間が経過してから行った方がいいそうだ。興味がないので、その医学的根拠は聞いていない。

この検査を行うに当たって、事前に担当医が言った。

『痛いですけどね』

これを、一度ならず言うのである。検査は、その日から約2週間後である。2週間も後日の検査について、

『痛いですけどね』

だけを、何ゆえ強調するのか? 当方は、この度のことについては何をやられても・・・とある程度覚悟していたのだが、こういう風に「痛い」だけを強調されるとどれ程痛いのかと多少は気になる。痛いことは、嫌いである。

今月13日、検査の日、検査医がまた始める前に

『痛いですからね!』

と強調する。一体、何なんだ、君たちは! 「痛いの、イヤです」と言えば、何か方法を講じるとでも言うのか。

検査体制がまた仰々しい。検査医と助手、それに監督するように偉そうなドクターが一言も発せず見守っている。

『ここだ!ここ! あっ!違う!!』

『ここ!ここ! あっ! ここだ!!!』

私の腕に針をブスブス突き刺しながら、担当医が助手に向かって喚いている。いくら痛覚の一部がないとは言っても、金属針を腕にブスブス刺されりゃ、確かに“予言”通り痛い。しかし、こういう風に騒がれれば余計に痛みは増すというものだ。監督ドクターは、相変わらず冷徹に沈黙を守っている。こいつら一体何ごっこをやってんだ!と腸(はらわた)煮えくりかえるまま検査が終わって、

『はい、これ、会計へ出してください』

と、検査医。

この日は検査だけで、結果が私に告げられるのは、何と月末28日である。

先月末に2回目の診断、そこで検査を13日と設定し、その結果は28日にしか解らないのである。「とう骨神経」の損傷具合を測るのに丸々1ヶ月を要することになる。私は先週月曜日からギブスを外し、進化理論に則(のっと)って生活している。私の右手は、「無理」を強いられ、「必要」に迫られ、日々進化=回復しつつ28日を迎える筈である。その日、先端医学は13日時点の私の「とう骨神経」の損傷具合を詳らかにする。

何かおかしくないか。

既に日曜日夕刻、「無理」を強いられた右手は、ドライアーで頭髪を乾かすという作業を成し遂げるまでに回復した。同日朝は、力は入らないが、トラブル発生後初めて右手だけで歯磨きも出来た。どちらも完璧ではないが、格好はついてきた。28日に13日時点の損傷具合を知らされ、それに基づく治療プランを告げられてももはや意味がなかろう。

医学もまた「論理」の世界である。優れた新しい「論理」。それに拠る「検査」という「技術」と、それに裏打ちされた「論理」の積み重ね。これらが間違っているとは思わぬ。優れた「論理」の「運用」が間違っているのだ。では、「論理」を「運用」するのは誰か。生身の人間である。「論理」に振り回され、それに従属する人間は、生身の人間の役に立たないのではないか。

「オーダーメイドギブス」の型をとって、出来上がるまでに1週間。1週間後にそれをはめに行ったら、処置室で「現金引き換え」。「いつもにこにこ現金払い」である。一式35千円也。ということは、みんなが「寄せ書きしよう!」などと喜んでいた私のギブスは、実質10日間強しか使っておらず、1日約3千円かかった計算になる。処置室の技師が言う。

『ま、高いですけどね、会社の総務へ言えば7割戻ってきますから。総務へ言うだけですから』

技師君! 君は世の中というものを知っているか。総務へ言うだけで済む・・・そんな企業が世の中に何割存在すると思っているのか。つまり、その種の体制を常備している企業が、世の中の何割を占めるか考えたことがあるか。

私どもは、せいぜい10名強という零細な所帯。その業務、つまり社会保険事務所相手に7割を取り戻す業務は、私自身がやらざるを得ないのだ。現実としては、スタッフのことなら別だが、己のギブスのそんなことに時間を割いていられる状況ではないのだ。まさか君は、患者が全て会社員だとは思っていないだろうね。世の中には自営業を営む人、専業主婦の人、今どきのことだから無職の人・・・いろいろな人が身体と心の痛みを押し殺して君の処置室に来るのだ。そういう千差万別の人々に対して君はどういう対応をしているのだろうか。他人事(ひとごと)ながら大いに気になる。更に、君は白衣を着てはいるが、君が一民間企業の社員であって、その病院に出入りする業者であることぐらい、私に解らないとでも思っているか。会社に相談して、せめて処置室での「現金と引き換え」という形を改めてもらうことだ。白衣を着用している以上「もっともらしさ」も必要である。病院会計に組み込んでもらうというシステムも、最終的には患者の安心感に繋がることを知り給え。

これも「運用」の問題である。

医者も検査技師も助手も、そしてギブス会社のスタッフも高度な「論理」の世界の仕事に携わっている。しかし、どくどくと赤い血の流れる人間にとって最も大切な「運用」ということに意を砕かぬばかりに、彼らの信ずるところは私が己の右手に課している「無理」という一種の「根性論」に敗北するのではないか。

2009年4月 7日 (火)

脳、健在なれど・・・

人間とは、もろいものである。

私の利き腕は右である。野球に於いては、一時故障を乗り切るために左投げ・左打ちの訓練をし、これを実践したが、本来右利きである。右を主とし、左を従としたバランスで日常生活に於ける動作が成り立っている。今、その右手がギブスで固定され、「従」であった左手一本で全てを処理することを余儀なくされている。たったこれだけのことで、何も出来ないような気分になっている。

人生二度目の交通事故に遭った時も夏場40日間ギブスがとれなかったことがあったが、あの時は左腕だった。痒さを我慢するのが大変だったが、これほどまでには不自由を感じなかったと思う。利き腕を封じられると、人間、ダメである。

ただ、面白い発見もある。例えば、ボタンをはめるという動作は、実に繊細な神経感知とそれに呼応した神経反応を要するが、歯を磨くという動作はそれに比べればもっと大雑把である筈だ。歯ブラシの動きがそれほど複雑だとは思えない。右手が使えないとすれば、いつも鏡で見ている歯ブラシの動きを左手で再現すればいいのだ。慣れの問題でスピードは遅くなるだろうが、歯ブラシを同じように動かすことにそれほど困難を伴うとは思えない。ところが、これがうまくいかないのだ。鏡で歯ブラシの動きを見ながらやっても、歯ブラシは素直には動いてくれない。単純なことが、逆になるだけで単純ではなくなる。う~んと、鏡を見詰めて考える。

気がつけば、街の仕組み・構造も右利きに出来ている。例えば、パスモやスイカをどちら側に翳(かざ)すか。右である。左手しか使えないとなると、身体を少し捩(ねじ)って翳すことになる。これに気づくことは、大袈裟に言えばバリアフリー感覚の目覚めか。

柄にもなく殊勝なことを述べているが、結局酒を飲んで帰宅し、習慣でPCを立ち上げてまだ何かやろうとしたのがいけなかった。メールをチェックしている途中で寝てしまったようなのだ。これは、時々ある。いや、割とよくある。ふと気づいた時、今回は右手に異常を感じた。右手は、マウスを握ったままだ。ところが、握っている感覚がない。寝ていたので、何かの具合で手が痺れたか。しばらく回復を待つ。おかしい! いつまで経っても右手が動かないではないか。左手で右手をマウスの上から退(の)ける。

何じゃ! これは!! 左手が右手に触っているのに、右手は感知していない!! 痛覚がないのだ!

これが、異常発生の瞬間である。

こういう時は、誰しも脳を疑う。遂に、自分にもきたか・・・。如何に病気というものに疎いといっても、微細な脳血管のたった一本が切れただけで何が起きるか・・・それぐらいのことは、私でも知っている。父親のことが思い浮かんだ。父親の場合は戦争の後遺症であったが、晩年右手右足、つまり右半身の自由を失って不自由に生きた。そして、手榴弾を全身に浴びた、文字通りボロボロの身体で死んでいった。

実は、私の脳も父に負けず劣らず結構ダメージを受けている。まず、小学生の時、川で魚を獲っていた私の頭上にトラックが飛び込んできた。私は、頭を直撃されて下敷きになった。川で下敷きである。誰もが、私は死んだと思った。ところが、約40分後に生きて救出されたのである。といえば聞こえはいいが、「救出活動」をやっていた者は私の死体を捜していただけで、引き揚げてみたら頭から血が吹き出ていたものの、まだ息があったということに過ぎなかったのだ。後日、私は警察から事故現場写真を3枚見せられたが、自分でも何故生きていたのか不思議だった。

二度目は、高校時代。彦根城本丸下の馬場で、我が野球部と同じ城内に在るO高校野球部が同時に練習をしていた。しかも、同時にシートバッティングをやっていた。向きは、90度違いの角度。私が自校の外野のポジションで打球を処理していた時、O校の打者が打った打球が私の頭を直撃した。球は、勿論、硬球である。高校野球の練習中に硬球を顔面や頭部に受けて死者が出た事故は、数例あるが、硬球とは技術を以て処理しない限りただの凶器となる。一瞬頭がぐわ~んと鳴り、音が消えた。蹲(うずくま)った私に、先輩の怒声が飛んできた。『ドンマイ! ドンマイ!!』

三度目のダメージは、40代のある冬。少年野球部の選手たちを、冬休みのレクリエーションとしてスケートに引率していた。監督者としてリンクの中で腕組みして部員たちに目をひからせていたその時、どこかの少女が私の後ろで急カーブを切ろうとして、直立していた私の足を払った。私の後頭部は、物凄い音を発してリンクに叩きつけられた。実際、この時は音が凄く、リンク中の人々が悲鳴のような声を発して私を見たことを覚えている。さすがにこの時は、吐き気を催し、握力が極端に低下した。

こういう試練を経て、私の脳は今日まで生き延びてきたのである。

救命救急のドクターも、一応脳を疑ったのか、脳のCT検査を受けた。併せて、首の骨(何て言ったっけ?)のX線写真も撮った。しかし、どちらも全く異常なし。体駆に似ず私の首の骨は頑強らしい。さすがに三度の修羅場を乗り越えてきた脳は大したもので、ダテに生き延びてきた脳ではない。

しかし、脳に異常がないとするとこの右手麻痺は何に因るものか。うたた寝をしている間に、一体何が起こったのか。正解は、『とう骨神経の損傷に因る麻痺』である。

中一日おいて再び病院へ行ったのだが、医者が不愉快な宣告をした。曰く『回復しない可能性もある。回復するとしても、半年~一年かかる可能性がある。僕たちは、傷に対しては何かが出来るが、神経に対しては何も出来ない』

冗談ではない。左手一本でこの先を生きていけというのか。毎朝、ボタン1個をはめるだけに20分を使って生きていけというのか。左手だけで食えるおにぎりだけを食って生き永らえろというのか。

ならば、いい。ここでもう一度「根性論」を復活させることにする。今年は桜吹雪とともに、右手の神経が消えた。来年の桜咲く時、花の下で、今は麻痺しているこの右手で一升瓶を高々と掲げてやる! (何も出来ないと言った医者は、禁酒を申し渡したが)

と突っ張っているが、大丈夫か? 我が「根性」は? 近頃使っておらず、なまってはいないか?

精神一倒何事か為らざらん。この世は、虚勢を張って生きるものである。

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