カテゴリー「憤怒の河を渡って」の36件の記事

2011年10月23日 (日)

くたばれ! NTT ―まだ人間が民営化されていない低劣な企業―

NTTのことについては、以前どこかで書いた気がする。ここで再び俎上に乗せなければならないことは、この企業が依然として低劣で、進化していないことの証明である。

最近、「終の棲家」へ引越したことは既にご報告した通りであるが、引越しとなると、NTT東日本や東京ガスなどと、否応なしに接することになる。今回も始まる前から気が重かったが、案の定NTT東日本は人を小馬鹿にしたような対応をして、またまた私を怒らせた。

結論からいえば、この会社はまだ人間が民営化されていないのである。人間が民営化されていない組織が、民営化された企業になることはない。電電公社時代を知っている年配社員が一人残らず消えない限り、この企業が「モラルと社会に対する愛情をもった、普通の民間企業」に生まれ変わることはないのだ。

電話移転の連絡を入れたら、万事デジタル化時代のこと、オペレーターは、光電話、光TV、そしてPCと、すべて“連動”している回線で暮らすことを、「今の当たり前」として対応した。私も、それはやむを得ないな、と思って了承したのだが、工事日が引越しから1週間後、と少し間が空くことになった。今更、焦っても仕方がない。1週間の間、TVは見られないし、PCも使えない。勿論、電話はダメである。しかし、TVの連続ドラマに夢中になっている訳じゃなし、PCに触っていないと身体が震えるなどという“中毒”にかかっている訳でもない。たまには、新聞と読書だけで過ごす夜もいいだろう。せっかく「終の棲家」に相応しい環境を選んだのだから。ただ、学生たちのデジタル遊びと違って、PCだけは仕事道具であるから1日程度ならともかく1週間もの間「使えない」では済まされない。やむなくこれは、Eモバイルを使って乗り切ることにした。

やっと工事日。

オッサンが一人でやってきた。結論からいえば、電話回線の開設しかやらなかった。テレビもPCもセットでやることになっているだろうが! と抗議しても、「電話だけ」になっていると取り合わない。更に、恩着せがましく、解ればやってあげるが、自分は電話のことしか解らない、などとほざく。

まず、この電話回線の開設に来たオッサンについていうと、このオッサンの所為(せい)ではないが、如何にもNTTらしい不条理なことをやってくれる。今回、併せて新しい受話器とFAX機をNTTから購入したのだが、機器そのものは数日前に宅急便で届いていた。業務用の車で乗りつけたオッサンは、ただルーターを持参して、電話・FAXを取り付けただけである。取り付けたはいいが、一言も何の説明もしない。まぁ、説明書ぐらいは付いているはずだからそれを読めばいいのだが、説明書はどこにあるんだ!? 恐らく、機器の入っていた段ボールの底にでも入っているのだろう。ここまででも通常の民間企業ならあり得ないことである。新しい受話器・FAXを何故わざわざ別便で送るのか。普通の企業なら、無駄な配送費はかけない。どうせオッサンがルーター持参で来るではないか。一緒に持ってくればいいではないか。工事担当のオッサンたちが嫌がるから? 保管倉庫が全く異なる場所にあるから? バカも休み休み言うがいい。コスト圧縮は、民間企業の初歩的な命題である。更に、新しいルーターを持参したオッサンは、これまでのルーターを引き取らない。これまでのルーターは、当方が別便で送り返すことになっている。しかも、送料は客に負担させる。この理由をオッサンに糺すと、「担当エリアが違うから」・・・アホか!! 加えて言えば、空になった段ボール箱だけを置いて帰るな!! 民間のどんな会社でも、配送した者は空き段ボールは持ち帰るものだ!!

要するに、NTTという企業にはコスト意識利用者は顧客であるという初歩的な意識が、まだ存在しないのである。電話を付けてやっている、のだ。諸々のオッサンの対応が民間企業ではあり得ないことは言うまでないが、これらはすべてオッサン個人の問題ではなく、いつまで経っても「人間が民営化されない」NTTという欠陥企業の仕組みの問題である。このことは、東京電力などの電力会社と全く変わらない。

23日後だったと思うが、受注したオペレーターTに抗議の電話を入れた。Tは、自分のメモには電話だけとなっていると頑強に突っぱねる。大したものである。「自分のメモ」が、自分が誤っていない証明になるとでも言うのか。その上、勝ち誇ったように「こちらでは、どこがどういう回線か、一戸一戸解っています!」などとぬかす。ならば、最初から教えろ! 我が家がどういう回線で、私はどうすべきかを!!

所詮、オペレーターはNTTの正社員ではない。そこはNTTにとってはうまく、つまり無責任にできている。以前、NTTの管理職が頼みごとで私の会社へ来たことがある。その時、この50男は膝をあぐら状に組んで、ふんぞり返って「頼みごと」をした。恐らく、この男の過去に於いて、人さまにものを頼むということがなかったのであろう。また、礼儀として頭を下げるという経験もなかったに違いない。あまりの無礼な態度に怒った私は、門前払いを喰らわせたが、この無知な50は逆にこちらの態度に怒りを露わにして帰って行った。その日の夜、同行してきていた若い女性社員から詫びのメールが入った。この女性が民営化されてからの入社であることは、一目瞭然であった。オペレーターTは、正社員ではないが、声からしてかなりの年配である。この企業は、オペレーターから管理職、果ては恐らくトップに至るまで、低劣としか言いようがないのである。民営化されたとはいえ、回線はまだこの企業グループが独占している。KDDIだって、NTTの回線を借りるしかないのである。

NTTの前身である電電公社JTの前身である専売公社など三公社五現業とは、昭和23年頃制定された法律を根拠として存在していたもので、戦後のドサクサの産物である。これを民営化するのに40年~50年もかかった。この間に、腐り切った「官」の悪弊だけを身に沁み込ませた。誤解を恐れずにいえば、民営化以前に入社した連中が死に絶えない限り、これらの企業が実を伴って真っ当な民間企業になることは不可能な気がする。

さて、テレビは勝手に接続して地上デジタルだけは見られるようにしたが、BSがまだ見られない。民放のくだらなさに愛想を尽かして、これまで、私はほとんどBSしか見ていなかった。また、PC3階の仕事場にあるので2階のリビングから無線LANを飛ばすしかなかろう。それはそれで、NTTの別の“部署”へ一から申込みをやり直し、その指示のもと、ルーターの中をそれ用に設定し直さなければならない。(彼らは、電話で指示だけするらしい) あまりにもバカバカしいので、まだ再申込みする気にもならない。FAXもオッサンが機器を接続していっただけで、まだ使えるような設定にはなっていない。

東京電力などと同様、地域独占にあぐらをかき、絶対儲かる料金設定システムによって安穏と暮らす連中を掃除する術はないものか。

2011年3月25日 (金)

福島の野菜、東京の水

福島県産野菜をはじめとする一連の出荷制限指示と摂取制限指示は、官房長官によると『念のため』の措置であるという。念のため?? ふざけたことを言うものではない。

政府指示の根拠は、あくまで食品衛生法の「暫定規制値」と原子力災害特別措置法である。「暫定」はどこまでも「暫定」であって、近く「暫定」ではない規制値が定められる模様である。

官房長官曰く、

「最大値を示した野菜を約10日間食べても、一年間の自然放射線量のほぼ二分の一にとどまるので、直ちに健康に被害が出ないことはもとより、将来に亘って健康に影響を与えるような放射線量は受けない」

「直ちに~はもとより、将来に亘って(も)~」??

ならば、何故出荷を制限する!? その答えが『念のため』である。

全くバカバカしい。

私どものスタッフの一人が福島県出身である。地震・津波直後は、身内の安否がなかなか判明せず、更に彼女の友人の一人も不明で、私どももヤキモキした。最終的に生きておられることが判明し、私もホッとしたのだが、その後が「原発騒ぎ」である。

23日、官房長官談話(記者会見)を受けて、私は彼女に、福島産野菜や米を私に送ってもらうよう依頼した。そして、できれば原発から三十キロ圏内の野菜を、とお願いしたのだが、それは立ち入れないだろうから難しいかも知れない。今、福島県産のものを普通のルートで入手しようとしても、東京では不可能である。彼女の実家から送ってもらえるなら、私は福島県産野菜を食することができる。着払いでも前払いでもいい、と付け加えた。あくまで私的売買だが、プレゼントだとしておけばお上がとやかく取り締まることは出来まい。

あくまで関連した余談であるが、私どもの少年時代はアメリカ、イギリス、そして、フランスも加わって太平洋でガンガンと原水爆実験を行っていた。その度に「死の灰」が日本列島に押し寄せ、日本人は毎度毎度騒いでいたのだ。昨日(23日)のように雨が降ると、私ども子供も大騒ぎ。と言っても、子供の場合は騒ぎの中味がちょっと違った。

当時は、死の灰=放射性物質を含んだ雨にかかると先ず髪の毛が抜けると誰もが信じていた。現実に、アメリカ人が広島・長崎に原爆を投下してさほどの年月が経っておらず、毎年その後遺症で死亡される方が毎年数千名単位で続いていた時代である。(人数は別にして、このこと現象自体は現在も続いている)原爆・水爆による放射性降下物に被爆(被曝のケースも同様。被曝と被爆は違う)すればどうなるかは、平成人より具体像を以て理解していた時代である。昭和29年には、マーシャル諸島近海で操業していた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」がアメリカによる水爆実験の「死の灰」を浴び、半年後に無線長;久保山愛吉さんが血清肝炎で死亡した。そういう事件も生々しい時代、私どもガキ仲間は不埒にも肝試しのような感覚で誰がこの雨の中へ飛び出せるかを競って走り回っていたのである。先頭を切ってそれをやらねば、ガキ大将の地位は保てなかったのだ。“意地”と“肝”を示してそれを敢行した夜は、明日の朝、自分はどうなっているだろうかと子供心に大きな不安を抱えてなかなか寝付けなかったことを覚えているが、次の雨の日もまたやっていたのである。

因みに、第五福竜丸に乗り組んでいた船員は23名。彼らは、全員被爆した。アメリカは、翌年200万ドル(72千万円)の「好意による見舞金」を支払ったものの、現在に至るも放射線が直接の死因であるとは認めていない。アメリカがこれを認めていないことが判明したのは、ほんの67年前のことである。

更に余談を重ねれば、私は昨年の肺がん誤診騒動の期間、2週間強の間にCTスキャン5回、普通のレントゲン検査10数回を受けている。CTスキャン1回で6,9007,000マイクロシーベルト・・・私は、出荷制限対象野菜などとは次元の異なる多量の放射線を浴びているのだ。その他にも思いを巡らせば、ここ数年の間にCTスキャンは少なくとも2025回、MRI89回、通常のX線になると病院の記録を繰ってもらわないとカウント不能である。即ち、今の騒ぎの基準に照らせば、私はもう立派な“被爆者”である。勿論、こんなことで健康に云々などと考えたこともない。何故なら、それを必要と認めて実施しているのは、賢明なる読者諸兄もよくご存知の著名な病院とそこに勤務する専門医である。現実に、今日も私はスタッフに憎まれ口を叩いて、「早く死にゃあいいのに・・・」と疎まれながらも、頑強に生きている。

暫定基準値と同じ放射性物質を含んでいるほうれん草100gを食べても、僅か0.005ミリシーベルト。CTスキャン1回分と同じ量の放射線量をほうれん草から“摂取”しようとすれば1400g=1.4kgも食べなくてはならず、好き嫌いの一切ない私でもさすがにキツい。

そもそもベクレルシーベルトという単位の区別もつけず、ただ買占めに走ってどうするか。周知の通り、地球上には常に放射線が存在する。私たちは、年間2.4ミリシーベルトの自然放射線を浴びているとされている。これまでのモニタリングで放射性ヨウ素の測定値が最も高かったほうれん草の場合でも、1kg当たり54,100ベクレル、即ち0.13ミリシーベルトである。これは、年間に浴びる自然放射線の僅か5.4に過ぎない。

出荷制限となれば、人びとの不安は理解できる。しかし、東京に買い占めるほどの水があるなら、奥羽の被災地へ廻せ! 今夜時点で、石巻では避難者が必要とする水と食料が、最低限(1日=3回のおにぎりとパン)必要なレベルの三分の一しかないのだ。少し冷静に己の頭で、現実の危険度を推算してみることだ。奥羽の被災者を放っておいてあなた一人日本列島で生き残ったとして、あなたは一体何をしようというのか。

1歳未満の乳幼児はダメということだけど、ウチの子は12ヶ月、そういう場合はどうすればいいんですか!?」

そこまで手を焼かせるか、あなたは!? 一個の頭が付いているのなら、自分で考えてはどうか。

「お風呂はどうなのか、はっきり説明して欲しい」

アホか! 五木寛之氏は季節の変わり目しか風呂には入らないそうだが、あなたは一生入るな! ならば疑問も不安も湧かないでしょ!?

平成人が昭和前期人より放射能に無知なのは分かるが、或いはメンタリティが違うのは分かるが、これはそういうレベルではない。万事がこの調子なのだ。ならば、未来永劫、「お上」の言う通りのスタイルで、「お上」に頼って生きればいい。私はまっぴらごめんである。

今日(24)宇和島藩出身の20代半ばの若者が、仕事の関係で訪れた。この男、生まれてこの方ミネラルウオーターなるものを飲んだことはなく、飲用には全て水道水を使っている。東京中が水の買占めに走っている昨日も、この男は悠然と、いつも通り水道水を飲んでいたという。

考えてみれば、ミネラルウオーターなるものを日本人が日常的に飲むようになったのは、高々この20年のことである。極端に水質の悪いヨーロッパに住む彼らの真似をしただけのこと。つまり、単なるファッションだった。それまでは、飲料水も水道水や井戸水であったし、当然水割りも水道水で作っていた。この若者は、世界で一番水質の良い日本の、東京の水道水を正しく飲用しているに過ぎない。

ただ、幕末に於ける宇和島藩の位置づけを全く知らず、水のことはさておきとりあえず説教をしておいた次第である。

2011年3月 5日 (土)

「超氷河期」という大ウソ

史上最低の大卒見込者の就職内定率=68.8。世の中の一部が大騒ぎをしているが、バカバカしい限りである。

上記内定率数値は、厚生労働省と文部科学省による「大学等卒業予定者の就職内定状況調査」によるもので、この調査はサンプリング調査である。サンプル数は、大学・短大・高等専門学校の合計が5,690s、専修学校560sである。就職コンサルタントを名乗る輩などが、就職に有利な大学ばかりを選んで数字をかさ上げしている、実態は40%台などとさまざまに批判しているが、サンプル数としては十分である。40%台という根拠は何か。言うことが情緒的に過ぎる。調査目的からして、サンプリングに於いて一種の二段抽出法を採ることは当然であり、調査コストの点でも妥当である。この種の数字は、何よりも時系列でみることが肝要である。

時系列でみても、確かに「内定率」は下がっている。ただ、この68.8%という数字は、121日現在の数字である。これが、まだ発表されていないが、31日現在となると恐らく7580%の間に収まる。そして、最終の41日現在の内定率は90%前後となる。今年は、90%を切るだろうが、85%を切ることはない。猫も杓子も大学へ進学し、バカの再生産と言われ続けて20年近く・・・それでも9割前後が卒業時に就職が決まっている。これのどこが「超氷河期」か? 日本人の大好きなアメリカの場合は、直近の推計数値で28である。

問題のこの数字は「内定率」であって「就職率」ではない。内定率が、就職希望者に占める内定取得者の割合であるのに対して、就職率は卒業者に占める就業者の割合である。(テレビのワイドショースタッフよ、もう理解不能か。ならば、ワイドショーごときがこの話題を扱うべきではない!) 大学生の就職実態というものは、就職率でみた方が正確であることは言うまでもない。これは、文部科学省が文部省の時代から、つまり、ずぅ~と昔から「学校基本調査」というものを実施しており、この調査の「調査時点」は51日である。この調査が、大学生に限らず中学生に至るまでの就職率だけなく就業者数の実数も時系列に把握、発表している。広告代理店の者やマーケッターを自称する輩でこの調査を知らないという者がいたら、それは「モグリ」であるから、詐欺などに遭わぬよう注意した方がいい。

2010年の大学生の就職率は、60.8である。率だけで言えば、2000年~2005年が50%台で推移し、2003年の55.1が最も低かった。それでも就業者実数は2000年以降30万人台で推移し、2010年も329,000が就職している。私が大学を出て就職した頃は18万人前後であった。就職率で言えば、私の卒業年は79.0%で、調査開始以来「史上最低」であった。近年は、不況だから就職を諦め、大学院へ進学するという者も多いから、この就職率という指標だけでも大学生の就職環境を包括することはできない。私の会社でも、かつて「就職が厳しいからインか福祉を狙います」という女子学生バイトが少なからずいた。彼女たちは、大学院のことを「イン」と言う。つまり、その頃から大学院と福祉関係は「デキの悪い大学生の逃げ場」になっていたのだ。そのことは大学院への進学率が如実に物語っているが、今はそれが「就職留年」に切り替わったに過ぎない。大学院を出たから就職に有利ということは当然あり得ず、「オーバードクター」という現象は必然であろう。

考えてみれば、大企業もバカである。名目の新卒であればいいのだ。内定イベントをやるかと思えば、内定取り消し・・・半年先の見通しも立てられないとは、全くこの大企業にしてこの大学生あり、という感が強い。

紛れもない事実として、従業員規模5,000人以上の大企業の求人倍率は0.5である。これに対して、300人規模以下の中小企業の求人倍率は4.5。このスコアは、ここ半年一貫して変わっていない。つまり、日本社会は今「人手不足」で学生の「売り手市場」なのだ。誰でもいいから人の欲しい中小企業は、ひぃひぃ言っている。なのに、学生のみが0.5倍の所謂大企業に集中し、内定が取れない、取れないと嘆き、メディアが誇張し、評論家が深刻な論評ばかりを垂れ流すという、バカバカしい茶番が繰り広げられているのだ。

先日もNHKがこのテーマで特集を組んで、二人の大学生の就職活動に密着していたが、二人のコメントを聞いて驚いた。「やっぱり、友達や知人が名前を知っている企業に入りたい」・・・ここまでくるともはやアホであるが、実はこれが平均的な大学生であるらしい。歳だけは若いが、考えていることは世間体のみ、ということか。これじゃ、能動性、向上心、知的欲求、どれをとっても「超高齢者」並みに劣化していると断じるしかない。(高齢者を差別しているなどという「言葉狩り」的批判は時代遅れと認識されたい)

そう言えば、過日、日経新聞だったと思うが、大学生の就職希望企業ランキングが掲載されていて、一覧して驚愕した。文化系学生のランキングベスト20以内に、買収される日も近い大企業、累積債務の多さで金融機関も警戒している大企業が数社入っているのだ。何という情報オンチ! いや、怠慢と言うべきだろう。大学生は就職活動に入る前に日経新聞の購読を始めると聞いていたが、恐らく新聞は漢字が多くて読めなかったのだろう。因みに、そのうちの1社の買収を検討しているのは、買収されそうな大企業より遥かに規模の小さい企業である。しかし、その大企業の財務体質が悪過ぎて、多分この話は流れる可能性が高い。しかし、JALの例じゃないが、どこかが救いの手を差しのべざるを得ないだろう。なるほど、その大企業は友達も知人も親戚も名前だけは知っているだろう。それでいいなら、スマートフォンでゲームに熱中しているだけでも問題はない、今すぐ日経新聞は解約した方が経済的にもいいのではないか。

極端な「大企業志向」がもたらした狂騒曲。勝手に苦しめばいいが、私の会社に5年在籍した者の年収は大概の大企業の同年代のそれを上回る。私どもは、中小企業にも入らない「蟻んこ」のような零細企業であるが、そういう仕組みにしている。但し、勤務時間も休暇も全て「セルフコントロール」できる者に限る。従って、甘ちゃんは全く通用せず、私どもも常に募集ばかりしている。「リア充」の多い立教大学の新卒も採用してみたが、2ヶ月で逃げた。それも電話1本入れるでなく、文字通りある日突然「夜逃げ」のように逃げた。(後始末が大変である)

大学生諸君! 少し冷静になって考えてみるがいい。君たちは、学力、知力、体力、何をとってもかつての大学生より劣ることは自覚しているだろう。成人であるにも拘らず、成人の常識など全く身に付けていないことも、身に覚えがあるだろう。相対比較とはいえそういう劣悪な者が、「安定しているから」などという神話を頼りに大企業のみに殺到して首尾よく就職できるとでも、真面目に思っているのか。この機会に己を鏡に写してみることだ。面接テクニック? リクルートスーツ? 面接室のドアの開け方?? バカバカしい。頭の中味をどう繕うのか!? 間違っても「自分(の個性)に合った企業」などという戯言(たわごと)を口にするものではない。君たちレベルに合わせていたら、企業はとっくに潰れている。身の程を知れ!ということだ。或いは、分をわきまえろ、と言えば解るか?  

君たちの親は、多くが40代後半であろう。今、日本社会はこの「40代後半」世代の問題が社会問題になろうとしている。君たちのことも考えてあげたいことはヤマヤマだが、オジさんたちは今、この「40代後半」世代問題の対策に忙殺されているのだ。

2011年1月14日 (金)

「タイガーマスク」という阿呆の群れ

伊達直人なる、正義のヒーローを気取る阿呆が全国各地に出没し、主に児童養護施設にランドセルを贈ってメディアから大喝采を浴びている。日頃辛口を売りにしているコメンテーターから大学教授、識者と呼ばれている輩に至るまでが、

「幅広く広がることを期待する」

「一過性にならないことを期待したい」

挙句には、

「まだまだ私たちの社会は捨てたものじゃないと勇気づけられた」

などと、信じがたいコメントを発している様に接し、正直なところ呆れ果てている。

一般的な寄付行為そのものを責めている訳ではない。それは、本来崇高な精神の裏づけを以て行われるはずの行為であって、善行以外の何物でもなかろう。

しかし、児童養護施設などで生活しなければならない子供たちに最低限不自由のない生活を保障するのは、行政の仕事である。「公」の仕事の最たるものである。国であれ地方自治体であれ、それをやるべき機関がそれを怠っていると判断するならば、国や自治体を何故責めないか。それができるように、何故運動しないか。それが、スジというものである。その運動の為の資金を、千円でも一万円でも寄付するというなら、それは極めて真っ当な神経と言うべきだろう。

「ひねくれ者」と非難され、場合によっては抗議コメントが殺到することを覚悟して申し上げるが、私はこのことを昭和四十年代あたりから四十年以上言い続けている。そして、この理由をはっきり申し上げて、一貫して他から求められる寄付、募金の類は拒否してきた。「赤い羽根」も買ったことはない。本来、それをやるべき者や機関がやっていないことに日頃全く関心も寄せずそれを放置し、一箇所、二箇所でこういう現象が現れると拍手喝采を送って問題の本質を糊塗する。挙句の果てに、「まだ現れていないのは、青森と宮城と高知県だけ」などと、地図まで作ってそれをワイド番組が煽る。大方の予想通り、タイガーマスクだけでなく「あしたのジョー」「正義の味方;月光仮面」も現れた。自ら「正義の味方~」という形容詞を冠していることで判る通り、連中の殆どは「正義」を気取ったマスタベーションを行っているだけなのだ。極めつけの阿呆は、タイガーマスクの扮装でレポーターのインタビューに応えている。また、養護施設の場所が判らず、警察に「場所を調べて、届けてくれ」などという、信じられない恥知らずも出てくる始末。本当に養護施設の子供たちのことを想うなら、その施設の所在地ぐらい己で調べろ!ということだ。恐らく、とことん甘やかされて育った甘ちゃんか、或いは己で調べる能力すらもち合わせていない阿呆であろう。

今、養護施設で「最も不足しているもの」は「人手」である。ウソだと思うなら、適当な数のサンプルを抽出してリサーチしてみるがいい。そういう実態に想いを馳せず、“高価な”ランドセルを贈って「施設にとっての問題点」の解決に寄与するとでも思っているのか。今やランドセルとは、高価な贈答品と化している。安いもので二~三万円、十万円を超えるものはザラにある。そういう虚飾に満ちた贈答品を仮に一万個贈ったとしても、児童養護施設の抱える問題は何も解決しない。

民主社会、市民社会の基本であろうが、社会の抱える問題、社会性のある問題、市民としての権利をもっていても個人では解決の難しい問題は、「仕組み」で解決することが基本中の基本である。社会の仕組みによって課題を解決していくのが、健全な市民社会というものである。人間の善意というものを否定はしないが、それが真の問題解決を阻害したり、逆に新たな不幸を創ってしまうこともある。余りにも著名な実例として「モハメド・アリの井戸」の話をご存知であろう。これは、七十年代の話である。アリの純粋な善意は、アリが力になろうとした現地の人々に大きな不幸をもたらしたのである。勿論、「仕組み」と「仕組み」の隙間、「仕組み」を構築中のプロセス・・・そういうシーンで善意というものが有効に作用することがある。全く異なる次元で、低劣なテレビメディアに煽られて繰り広げられている今の「タイガーマスク運動」とは、完璧な「大政翼賛運動」である。

私は、児童・青少年育成に貢献したとして、当時住んでいた区から表彰されたことがある。確かに、自治体では手の出せないこともある。しかし、多くのケース、多くの課題について、自治体が「仕組み」を創ることを怠っていることがあまりにも多い。よくあることとして、自治体は「表彰状」などを与えてお茶を濁すのだ。私のケースがそうだとは言わないが、私は表彰状を直ぐ処分してしまった。児童や少年少女を相手にした地域活動とは、どのような種類のものでも表彰状一枚で済むような生易しいものではないのだ。その頃、私には日曜日がなくなっていた。GWなども然り。本来の生業については、毎週、日曜日の夜から事務所へ出勤し、月曜日にかけて徹夜作業を行って、仕事に遅れの出ないようにした。関係している子どもたちの授業参観には必ず全員の教室に顔を出し、我が子の授業参観には行けなかった。俗に「ボランティア」などという気色(きしょく)の悪い言葉が使われるが、無報酬で己の意志のみで社会の一部でも担おうとするならば、それにはそれなりの精神的、肉体的エネルギーが要ることを知らねばならない。

ハイチの大地震から一年が経つ。国際的な支援が注ぎ込まれているが、今、同国では民間の医療機関がほぼ壊滅しようとしている。アメリカを主とする医療NPOが無料サービスを続けており、同国の医療機関は全く経営が成り立たず、医師の海外流出に拍車がかかっているのだ。医療NPOは、同国の医療という国民にとって欠かせない機関・システム・サービスを壊滅させたのだ。地震が壊滅させた建物の復旧は、困難を伴っても相対的には容易に可能だ。しかし、NPOが壊滅させたハイチの「医療」は、果たして「復旧」させることができるのか、できるとしても今後何十年を要するのか。因みに、約350名の日本の自衛隊員は毎日土方作業を行っており、まだこの方がマシというものであろう。

施設の子供にランドセルを背負わせて、レポーターが問う。

「タイガーマスクさんに何と言いたいですか?」

「タイガーマスクさん! ありがとう!!」

何度リハーサルをやらせたのか知らぬが、レポーターの頭をハンマーで叩き直したくなる。

蛇足ながら、多くのタイガーマスクよ、もう少し真っ当な文字が書けないか!?

この社会の不幸は、総理大臣;管直人とタイガーマスク;伊達直人の二人の「直人」の知的レベルが、低い所で同一だということかも知れない。

更にお節介ながら、マスターベーションは自分ちへ帰って窓のカーテンも閉じて密かにやるのが、「弁(わきま)え」というものである。

もう一つダメ押しお節介になるが、更にこの馬鹿げた運動の輪が広がるようなら、この機に福祉目的税として新たな消費税が創設されたとしても誰も反対すまい。反対するなら、それこそ言っていることに全く整合性がとれないと言わざるを得ない。

2010年10月 3日 (日)

ならず者の論理

悪いことばかりして手のつけられない者を「ならず者」と言う。(広辞苑) 無頼漢、ごろつき、ヤクザと同じ意味でこの言葉が使われるケースもある。専(もっぱ)ら、脅し、強請(ゆすり)を繰り返して生きていくのが、その生態である。

尖閣諸島を巡る「共産中国」の振る舞いを見ていると、やはりこの国は「ならず者」以外の何者でもないと思わざるを得ない。チベットの例を出すまでもなく、この国は侵略に侵略を重ねて今日に至る。今、侵略したチベットに於いては国策として中国人男性とチベット人女性の結婚を推し進めている。つまり、長期的な施策として、チベット民族というものをこの世から抹殺する気なのだ。如何にも共産主義国家ならではの、おぞましい悪業である。共産中国の尖閣諸島侵略に呼応して、ロシアが北方四島への支配を改めて強調し始めた。両国が連携しての行動であることを、両国とも隠そうともしていない。ロシアという国は、今なおその“前身”である共産国家;ソビエトの悪しき名残りを留めているが、そのソビエトがまた人類史上例をみない「ならず者」であったことは周知の通りである。「ロシア人はそれを破る為に国際条約を締結する」という意味のことを西欧人が言ったが、一人そのことを認識できなかったのが戦前の薩長政権である。その結果、大東亜戦争終結時に日本人はロシア人の残虐性というものを思い知らされることになった。

共産中国が、突如尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、まだ我が国が高度成長期にあった1971年のことだが、その理由ははっきりしている。メキシコオリンピックが開催された1968年に始まった国連による海底調査の結果、尖閣諸島周辺にはイランの埋蔵量に匹敵する大規模海底油田が存在する可能性が高いということが判明したのだ。そこで、共産中国成立以前から中国人自身が日本固有の領土であることを認めてきた尖閣諸島について、急遽共産中国は領有権を主張し始めたのである。即ち、「ならず者」の言動というものは極めて分かり易いものであり、そこには論理というものは存在しない。強いて言えば、「無理を通せば道理が引っ込む」というのが、「ならず者」の論理であると言えよう。

これに対して、我が国の現政権が何かできるかと問えば、何もできない。この問題は、占領軍が作った日本国憲法の改正または破棄問題まで行き着くものであって、現政権の外交能力の低劣さだけが原因ではない。言ってみれば、国家が滅んでもなお薩長政権を引き継いできた戦後国民の総意というものが発生を許した問題である。千島列島への侵略を許し、日本の内懐にある所謂「北方四島」までもの占領を指をくわえて許している北方問題も同様である。島根県の竹島に至っては、既に韓国軍が占領している。

目先の尖閣諸島を巡る“いざこざ”は、我が国の屈辱的な対応によって直ぐ終結するだろう。漁船という装いをした船舶の領海侵犯が日常となっている尖閣の「平和」は、回復する。だが、いずれ尖閣諸島は共産中国に侵され、占拠されるだろう。勿論、海底権益は共産中国の手に帰する。それだけでは終わらない。30年、50年、100年というスパンでみれば、先島諸島が奪われ、少なくとも沖縄本島までは共産中国に侵略、占拠されるだろう。普天間の移転問題一つをみていても、沖縄県民自身からして所謂“平和ボケ”しているとしか思えない。それに先立ち、西沙諸島、南沙諸島は完全に中国に奪われている筈だ。インドネシアやフィリピンは、日本よりは強い抵抗を展開するだろうが、敗退する。こういうことを言うと、また右翼的な年寄りが物知り顔で、と反発する読者が殆どであろうが、残念ながらそれに対しては「甘い」としか言いようがない。現に竹島がどうなっているかも知らぬ者も多いという異常な国家では、こういう見方が通用しないことも承知している。例えば、今20代の若者は、この国の形を現状のまま放置すれば30年後、50年後にどうなっているかはその時「現実」として直面することになる訳であり、その時になって本稿の指摘が「当たってるじゃん!」などと言っても後の祭りである。私どもの世代の余命は幾ばくもなく、誤解を恐れずに言えば、尖閣が盗られようが、石垣島や宮古島が占領されようが、既にあの世の身では影響は受けない。つまり、こういう外交的課題も社会保障の問題などと同様に、放置しておけばこれからの世代がすべてまる被りして解決していくしかない訳で、そこで該当する世代の現状を観察するに、これは沖縄本島まではやられるだろうとしか思えないのだ。

共産中国が最も恐れることは何か。「ならず者」に対処するには「ならず者」の最も恐れる手段を用いるのが鉄則であるが、それは、日本の再軍備なのだ。私は学生時代から再軍備派であり、そのことで会社の入社面接で役員どもから“袋にされた”ことについて本ブログで触れた記憶があるが、ここで気を付けなければならないことがある。再軍備と軍国主義というものが論理的に一直線で結びつく訳がないのだが、戦後日本ではイコールで繋いでしまっている。そういう稚拙な政治風土の中では、共産中国やロシアのような「ならず者」が余りに無法の限りを尽くすと「危険な民族主義」が台頭する可能性が高まる。それこそ「右翼軍国主義者」が復活する危険が増すのだ。本来「民族主義」とは、どの民族でも堅持すべき健全な精神の基盤である。ところが、「民族主義」に名を借りた「排他的右翼」が国家を誤った方向に導くことは歴史が何度も証明しており、我が国の薩長政権などはそれを絵に描いたようなサンプルであったではないか。

かつて「チャンコロ」とか「ロ助」などという蔑称が存在した。共産中国ゲリラとの命のやり取りで生死の境を彷徨(さまよ)った私の父などは、日常的に「チャンコロ」「ロ助」を連発していたから、私も幼少時からこの種の蔑称には慣れ親しんでいる。これは、言うまでもなく差別語であって、「毛唐」よりひどい差別語であると言っていい。こういう差別語が復活の気配をみせた時が最も危険な時であるが、今の時点で「そんなバカげたことが~」とせせら笑っていても、気が付いたらそういう潮流に乗っているということがある。このことも、歴史が証明している。既に指摘したことであるが、日本人というのはテンション民族である。これは、大きな欠点であると自覚しなければならない。だからこそ、冷静に歴史に対して「長い時間軸」を引いて、それを緻密に解きほぐす作業が必要なのだ。

前稿に於いて、保科正之にみる日本人の美質というものを採り上げた。彼も彼の同世代人も、かつての中国から多くのことを学んで独自の美徳を創り上げていったのである。「謙譲」「奥床しさ」「控えめ」・・・これらのかつて日本人の美質とされたキャラクターは、日本人自身によって否定され、蔑(さげす)まれて今日に至っている。ホリエモンや三木谷といった、所謂80年代型40男がもてはやされるのも、こういう意識潮流を背景としている。もともと美徳とされたこの特性を自ら否定したのは、「戦後第一世代」とそれに続く、団塊を含む今の60代世代である。このことによって、余談ながらこれからの「超高齢化社会」に於ける「高齢者」とは従来の言葉と意味からはかなりかけ離れた意識と行動を示すことになるので、マーケッターはくれぐれも注意をされた方がいいだろう。

断言しておくが、「謙譲」とか「奥床しさ」というキャラクターは日本人の「美質」である。何も「時代遅れだ」などと恥じることはない。そもそも共産中国という「ならず者」にこういう美質の端っくれでも持ち合わせがあれば、尖閣諸島を巡るイザコザなど起きよう筈がないのだ。尤も、そういう類の人間性の持ち合わせがないから「ならず者」なのだが・・・。そして、個人に於ける美質や美徳というものが国家間の外交の場面にどう顕れるかといえば、これはまた次元の異なる話となる。司馬遼太郎さんが見事に分析した通り、元来中国という国には、「外交」という言葉も概念も存在しなかった。存在したのは「朝貢」という概念と形である。琉球や朝鮮の歴史を考える時、このことは初歩的に知っておく必要がある。「近代」という名の荒波が東アジアにも押し寄せてくるのと同時に、私たちも中国人も「外交」という概念と手法を否応なく覚えたのである。一度述べたことがあると記憶しているが、私は少年時代、母からよく言われた。「国と国との外交というものは、片方の手で握手をしながら、片方の手はいつでも相手を殴れるように握りしめて用意しておくことです」ということを。母は、この通りの表現で私に説教をするような調子で言ったものである。そういうことを子供に躾ける妙な母親であったのだが、今の政権を眺めていて、母は少なくとも彼らよりは上等な考え方をしていたと思っている。そういう国と国との外交の場に「謙譲」とか「奥床しさ」といったあくまで個人的色彩の強い美質が通用するのか。結論だけ言えば、通用する。簡略にしておくが、『レッド・サン』というフランス・スペイン・イタリア合作映画がある。監督は「007シリーズ」でお馴染みのテレンス・ヤング、音楽は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」のモーリス・ジャール、主演は当時「世界三大スター」と言われた三船敏郎チャールズ・ブロンソンアラン・ドロンである。公開は、共産中国が尖閣の領有を言い出した1971年。武家の倫理にも合致する前述の美質というものと、国と国との付き合いの基礎的な関連というものを示唆してくれる娯楽大作である。かつてないレベルの国際性を身に付けていると自覚する平成日本人が世界のあちこちで軽蔑されるのに対して、何故今なおサムライが尊敬されるのかという、前稿末尾の問いかけにも、一つの解のヒントを与えてくれる映画でもある。

本稿では、「ならず者」には事欠かない長州人の中でも長州人自身が眉をひそめた特筆すべき「ならず者」;奥羽鎮撫総督軍下参謀;世良修蔵のことを、保科正之と対比して述べるつもりであった。上に世間知らずの若輩公家3名を戴いていたが、この男が会津征討を目的とした奥羽鎮撫総督軍の実質的な総指揮官であった。第二奇兵隊出身で、漁師上がりのこの下品な「成り上がり」が「朝廷」「官軍」の名を振りかざしてどういう蛮行をはたらいたか。共産中国という国土と人口だけは巨大な「ならず者」の邪魔が入って、そのことを述べるのは別の機会としたい。

2010年8月23日 (月)

楽天・三木谷氏の見識レベル

前稿からの怒りついでに、もう1回シリーズから離れる。

もうずいぶん昔のことである。つまり、若い頃の話である。

銀座の路上でアメリカから来たと思われる老夫婦(後でアメリカ人であることが判明)から声をかけられた。その前から、立ち止まって辺りを見回していたから、目的地へ行く道でも聞きたかったのだろう。当然、いきなり英語で話しかけてくる。日頃からこういうことに腹立たしさを感じていた私は、その時、瞬間的に“切れた”。

話し方が無礼であったとか、その態度が不遜であったというのではない。いきなり英語で話しかける無神経、傲慢さに腹が立ったのだ。ここは、東京である。即ち、日本国の首都である。そして、私は人種としても日本人であり、日本国籍を有している。アメリカ人であれ誰であれ、日本国へやって来るのはいい。誰をも拒まない。だが、人様の国へ来て、その国の人間に対して自国の言葉を理解して当然、という態度は、誠に無礼としか言い様がない。

当時の私は、どういう訳か時折日本人以外の血が混じっていると間違われたことがあったので、念の為、自分が日本人であることをこの無礼なアメリカ人夫婦に告げた上で、

 When in Rome, Do as Romans do.

という諺(ことわざ)を念頭に置いて、あなた方は今、どこに立っているか、ここは日本の首都;東京である、日本に居るならば日本人のするようにせよ、即ち、日本に来たならば日本語で話すべきである

ということを、一方的に告げた。頭に血が昇っていたこともあり、恐らく細部の語法には間違いもあっただろう。しかし、言葉なんてものは、単語を並べるだけでも通じることは通じるものなのだ。

ビックリしたような表情を作ったダンナの方が、申し訳ないが、日本語を話せない、と言うので、私は、独立国家の一市民として自分の国であなたの国の言葉を使うつもりはない、あなた方が一言でも日本語を話す努力をすることが我が国に於ける礼儀である、と通告して、何も教えずに去った。

戦後日本人というのは、実に卑屈に育った。特に、敗戦時10歳前後であった「戦後第一世代」というのは、その最たるものである。私は、彼らはずっとアメリカ軍に占領され続けることを願っていたと、今でも思っている。

時は下って、平成2285日、楽天を率いる三木谷浩史氏は、6月中間決算の発表を英語で行った。世代的に言えば、彼は「戦後第一世代」の子供世代に当たる。場所は日本、集まった記者団も日本人である。そこで、この場では同時通訳が置かれた。まるで笑い話であるが、これは紛れもない事実である。すべて英語で行う理由として、三木谷氏は以下の点を挙げた。

・楽天の最も重要な施策は、グローバル化である

・英語はストレートに表現できるが、日本語だと曖昧になる

この光景も、その理由も、もはやマンガである。日本語だと曖昧になるというのは、三木谷氏の日本語能力が低いからである。そのことにご本人が気づいていないだけのことだ。日本に於いて、日本人ばかりを相手に記者発表する際、日本語を使えばグローバル化に反するのか。だとすれば、氏の言うグローバル化とはどういうことを言っているのか。

時代の節目には、必ずこういう人間が現れる。御一新の時にも、大東亜戦争敗戦直後にもこういう人間が現れた。既稿にて我が国最初の文部大臣;森有礼について述べた。この薩摩藩士は、英語を日本の国語にしようと躍起になった“気狂い”である。しかも、英語の不規則動詞だけを除いて、国語として英語を採用するというのである。「尊王攘夷」というスローガンとは裏腹に薩長政府というのは極端な欧化政策を採っていたが、ここまでくると誠に精神の下賤な「かぶれ」に過ぎない。森のこの英語の日本国語化に直接反対したのは、英語を母国語とするアメリカ・エール大学の言語学者である。森は、40代に乗った頃、暗殺された。そういえば、森は一橋大学の創設者としても知られるが、三木谷氏は一橋大学商学部の出身である。一橋大学の名誉のために付言しておくが、石原慎太郎氏も同校の出身である。

楽天では、「英語公用語化」という社内施策を進めている。これは、楽天を世界一のインターネットサービス企業にするため、もうひとつは、楽天が英語を公用語にすれば、日本中の他の企業にも広がり、一般家庭にもその意識が広がるからだという。随分な自信ではあるが、思い上がりも甚だしい。その前に「筋違い」である。

氏は「公用語」と言うが、「公」とは何か。そして、「私」とは・・・。福沢諭吉は国家さえも「私」であると言ったが、そういうレベルの話を「平成40男」に持ち出しても、薩摩弁しか話さない高齢者(今はいないが)にいきなり英語で話しかけるようなものである。要は、楽天という「単なる一私企業」の中で、英語を話さない奴は給料を下げるぞ、と脅したとしても、ここでは何も言わない。どうぞ、内輪のことはご勝手に、と言うしかない。ところが、ビジネスルールに従い、企業の社会的責務として三木谷氏は日本社会に対して企業業績を発表することになっていた筈である。目の前には記者団しかいないであろうが、氏が語るべき対象は日本社会を構成する一般市民である。そうでなければならない。だとすれば、この社会の唯一の公用語である日本語を拒否するとは何事か。考え違いも甚だしい。第一、失礼であり、無礼であろう。

記者団も記者団である。7名が質問に立ったというが、内5名が英語で質問したという。アホか、この連中は!!

このようにして、見識というものをもたぬ40男は益々増長する。今、「40男問題」は隠れた、大きな社会問題である。勿論、こういう世代の問題は、マスで物事を語ることであり、個々人の問題には直結しないところも多い。その前提付きであることは言うまでもないが、かつて私はこの世代が「日本社会にとどめを刺す」と書いたことがある。このたびの三木谷氏演じる「笑えぬ喜劇」を見ていると、悪い予感とは当たるものだと暗澹たる思いに支配されるばかりである。

蛇足ながら、三木谷氏は勤め先であった日本興業銀行からハーバード大学の大学院へ留学させてもらった超エリートである。出来の悪い私にとっては、ハーバードなど雲の上の存在であるが、私の出た学校は国内に在りながら世界中から日本への留学生の集まるところで文字通り「人種のるつぼ」であった。「るつぼ」に存在するものは、残酷なほどの多様性である。「世界」とは「アメリカ」でしかなかった80年代型文化をその身に染み込ませた三木谷氏は、多様性という日本語を知っているだろうか。いや、こればかりは“余計なお世話”に違いない。

2010年8月18日 (水)

恥を知れ!!

この表題、以前も思わず使ったような気がするのだが、今回もこの言葉しか出てこない。

足立区で111歳である筈の加藤宗現さんの白骨化した遺体が発見されたのは、728日のことであった。これをきっかけにして、次から次へと出るわ、出るわ、遂に先週末13日現在の、全国の所在不明の100歳以上の高齢者は300名近くにまで膨れ上がった。この人数は、数え方によってはもっと多い筈だ。つまり、現実に所在が確認できていない100歳以上の高齢者はもっと多く居るものと考えられるのだ。隣国・韓国のメディアは、

『長寿大国の化けの皮が剥がれた!』

と、ここぞとばかりに書き立て、正確な統計をとるなどという能力ではかなり劣ることが“定評”として確立しているイタリアのメディアまでもが、

『日本の人口統計はアテにならない』

などと大見出しを掲げる有り様である。イタリア人にこれを言われたらお仕舞いであるが、平成日本人はこれらに反論できるか。

高齢者の所在不明には、大きく分けて以下の三つのパターンがある。

1.自治体は存命していると認識していたが、実は死亡していた、または行方不明だったというケース

2.自治体が行方不明を認識していたにも拘わらず、住民票の修正を怠っていたケース

3.家族が警察に捜索願などを出していたが、自治体がそのことを把握していなかったケース

対象が100歳以上の高齢者の話ともなれば、どれもが信じ難い話ではある。行政機関が、自分たちの受け持ちエリアに住む人間の生死さえ知らないのである。しかし、多くのメディアが(1)と(2)だけをカウントして不明者数として報道しており、(3)を加えると人数はもっと増えることになるのだ。

報道されている通りだとすれば、悪質な犯罪が多く含まれている。発端となった足立区;加藤宗現さんのケースでは、死亡したとみられる1978年以降、総額1,800万円以上の年金が支給され、これはきっちりと受け取られている。53歳になる孫の女性は、「年金の一部を引き出し、貸金庫に移した」と警察に述べているというが、果たして一部か。貸金庫にそのお金は存在するのか。現在、振り込まれた口座の残高が340万円でしかないことは判明しているのだ。726日、足立区職員と千住警察署員が加藤さん宅を訪問した際、81歳の長女は本人への面会を拒否している。何を根拠に拒否し、何を根拠に区職員と警官は拒否を受け容れたのか。この期に及んで、また「個人情報保護法があるので」などという戯言(たわごと)を繰り返すか。事は犯罪である726日とは、遺体発見の2日前である。区役所も千住警察も既にある種の確信を得ていた筈である。だからこそ、区役所職員は警官の同行を求めたのではないか。

この家族が受け取っていた年金は、197812月から20044月までが老齢福祉年金、200410月から現在までが教員共済組合の遺族共済年金である。(加藤さん自身は生存していた196912月から年金を受給している)26年間支払われた老齢福祉年金より5年強にしかならない共済年金の方が実額が多いということも注目すべき点であり、教員共済組合の年金は相対的には遥かに高額なのだ。そうなのだ、白骨化死体で(世間に)発見された加藤さんの妻は、教育者であったのだ。遺族共済年金の支給を申請したのは53歳の孫である。“教育者”が死亡したのは20048月であるから、この“教育者”の孫娘は受取人である祖父が遥か昔に死亡していることを知っている。つまり、受取人などこの世にいないことを知りながら申請しているのだ。となれば、これは明白な公金詐取である。改めて言うまでもなく、犯罪である。

杉並区では、都内最高齢113とされていた古谷ふささんの行方が分からない。既に死亡している彼女の夫が東京都職員という公務員であったところから、東京都は彼女に実に半世紀に亘って恩給を支給してきた。さすがに東京都は、定期的に所在確認の為の調査票を送付してきた。これに返信があったから支給してきたのである。実にいい加減な手法ではあるが、誰が返信したのか。現在79歳の長女である。直近で返信があったのは、昨年5月である。これも明白な公金詐取でありながら、東京都は「金額は個人情報なので答えられない」などとたわけた回答をしている。テレビのレポーターがこの長女に何度もマイクを向けていたが、相手が高齢者であるという配慮からであろう、日頃は無礼極まりない質問しか発しない連中でありながら、このケースに於いては誰一人核心を衝く質問を発していなかった。

昨年8月、名古屋市北区の職員が106歳の男性の家を訪ねると、そこは駐車場になっていた。親族に照会すると、「知らない」。

八王子では102歳の男性が1971年頃から「出かけたまま」になっているが(今となっては、居なくなった時期も~年頃、と「頃」を付けなければならない)、長男は既に死亡しており、62歳の長男の妻がのたまう。「いつかは帰ってくると思って、住民票は残しておいた」・・・よく言ったものである。既に40年になろうとしているのだ。義父が「いなくなった」1971年とはどういう時期であったか。テレビで「仮面ライダー」シリーズの放映が始まり、ザ・タイガースが解散した。ジョン・レノンが「イマジン」を発表し、銀座三越の脇にマクドナルドの日本第1号店がオープンした。横綱大鵬32回目の優勝を飾り、新宿副都心高層ビル第1号である京王プラザが開業、中華民国(台湾)が国連から追われ、代わって中華人民共和国が国連に加盟した。そういう年である。このように列挙すれば、多少は記憶も蘇ったか。

八王子市が捜索願を出すように勧めたのが、何と2007年。それでもこの長男の妻は出さなかった。102歳の本人の年金などはどうなっているのか、八王子市には公表する義務がある。市は居ないことを知っていながら、詳しい聞き取り調査も、益して住民票の修正もしていないのである。

草加市の100歳男性の68歳の次男は、「もともとよく家出をするオヤジで、20年位前に失踪した」と平然と言っているという。

奈良市の100歳の女性は、実は30年前に行方不明となっていた。家族は、警察に捜索願を出したが、奈良市は今年5月、お祝い品を渡す為の電話をして初めてそのことを知った。一方的な自治体側の過失・怠慢のように見えるが、実はこの女性には19756月から956月まで国民年金が支給されている。それは、本人名義の口座に振り込まれていたのである。

全国で余りの数の多さに各紙は県別一覧表まで作った。兵庫・大阪が群を抜いて多い。実は、大阪市では各区役所レベルで居住実態のないことを把握していたケースが多いのだ。知っていながら本庁に報告しない、抹消手続きをせずに放置しておいたという、区役所職員の職務怠慢が最大の原因なのだ。市バス運転手の年収が1千万円以上という「全国一の革新自治体」を誇った大阪市とそれを構成する区役所の実態とは、こういうことである。

一連の事件は、高齢者による明白な犯罪である。私は、一つの世代論として「戦後第一世代」とその子供世代に当たる「ユーミン世代」の問題点を事あるごとに指摘してきたが、一連の事件に一義的に責任を負う者は、世代で言えば「戦後第一世代」と「団塊の世代を含む60代」である。かく言う私自身が後者の一人である。今回の一連の事件は、この世代にはこれだけの不心得者が含まれているということを厳然と表わしている。高齢者福祉の在り方、ひいては社会福祉システム全般の在り方など、高邁な理屈はこの際後回しにすべきであろう。

口を開けば、「近頃の若い者は~」などと一人前の口を利きながら、倫理観の欠片(かけら)も持ち合わせぬ60代・70代の同輩・先輩たちよ! 恥を知れ!!

2010年5月23日 (日)

庄屋と郵政民営化(其の一)

我が国の憲政史上、こういう低劣な総理大臣が現れたことは珍しい現象ではないか。日本の政治家というのは堂々とウソをつく人種であるが、これほどダイナミックなウソを次から次へと積み重ねる政治家は、やはり我が国の憲政史上、彼を措いてほかにはいない。そのことを本人が自覚していないとすれば、この御仁はもはや救い難い。内閣支持率が10%台に突入するという世論調査も現れたが、それでもまだ五人に一人が支持しているということが、むしろ驚きである。

この政権と与党は、前政権を否定すればいいという、誠に稚拙な発想からスタートした。選挙時の浮ついた気分の時にしか通用しないマニフェストやらをそのまま実行したらどういうことになるか、そういうリアリティを全く持ち合わせず、今、この国の政治は支離滅裂といった状況に陥っている。例えば、普天間問題にしても、国家間で十年以上かけて合意に至った約束事を確たる理由も、また目算もなくいきなりひっくり返して、今なお混乱のまま推移している状況は、ブラックユーモアにもならず、下劣な茶番としか言いようがない。相手国;アメリカがさほど声を荒げないのは、アメリカ政府が既にこの政権を見限っているからである。アメリカ政府内では、「北朝鮮のミサイルでも浴びないと分からないだろう」という声が公然と交わされているという。つまり、アメリカ政府は、既に鳩山政権の崩壊を前提として対日交渉に臨んでいる。

余談に属するが、徳之島案が出てきた最初から感じていることだが、徳之島は受ける可能性がある。誰が動いたのか、うまいところに目を付けたものである。選挙となれば血を見てきたこの島の戦後史を振り返ってみればいい。昨日、日米実務者協議で元の辺野古案に戻ったと報じられたが、果たしてそうすんなりといくか・・・。

政治家一家の四代目に生まれたというだけで政治家としての資質など全く持ち合わせのない鳩山(以下、敬称を略す)に、「決断力」や「指導力」がないのは当然である。選挙の敗者となり、政権に入ること自体が民主主義の基本原則に反することも理解できない亀井福島がそういう鳩山の弱点を突きまくって、やりたい放題、言いたい放題という局面も現出している。鳩山があの調子なので、亀井は決断力があるなどと見られがちであるが、バカを言うのもほどほどにすべきであろう。藤巻健史氏が断言する通り、「知識のない人間の決断」43日 朝日新聞)ほど危険なものはないのだ。平たく言えば「バカの決断」は国を滅ぼすということだ。藤巻氏にしては思い切ったことを言ったものだが、余程腹に据えかねたのであろう。同時に、危機感を感じての発言であることは疑う余地がない。

言うまでもなく、郵政民営化の見直しという逆行施策のことである。かつてこのテーマで小泉純一郎に敗れた亀井は、その「復讐」の為だけに大臣を務めていると言っても決して間違っていない。小泉郵政改革をことごとく覆しにかかっているのである。これが今、国政の場で行われているのだ。もはや“悪質なままごと”をやっているとしか言いようがない。

私のようなど素人でも解ることは、普通の国で大規模公共工事などをやろうとすれば、長期金利が上昇して景気悪化のリスクが高まるということだ。資金手当ての国債が増発される可能性が高まるからである。ところが、日本では「ゆうちょ銀行」が中心となって主力金融機関が国債を引き受けてくれる。海外へ投資した方が遥かに有利で利益が見込めて投資家への見返りも大きくできるのに、ひたすら日本国債を引き受けてくれるのだ。日本国債の金利なんてものは、顕微鏡でも用意しないと判らないくらいの「シミったれ」の「シミ」みたいなものである。従って、無責任な政府がいくら国債を発行しても長期金利は上がらない。政権にこのクセが付いているから、時の政府は常にバラマキ政策と公共事業に一生懸命邁進する。民主党政権に代わって、バカの一つ覚えみたいに「マニフェスト」「マニフェスト」の連呼でこれが余計に酷くなった。結局、マニフェストを殆ど反故にしておきながら、財政赤字だけを極端に大きくした。今の日本に比べれば、ギリシャなど可愛いものである。日本国家がいつまで経っても借金生活の苦境から抜け出せないのは、郵政を本丸とする「大きな政府」がもたらした側面が大きいのだ。こういう染みついた“悪習”を打破しようとしたのが、小泉郵政改革であった。亀井たちは「全国一律サービス」がどうのこうのと言うが、何も「全国一律サービス」の為に小泉は郵政改革を断行した訳ではない。亀井の復讐劇が完結すれば、確かに郵便事業の「全国一律サービス」は元に戻って全国どこへ行ってもハガキは翌日には届くようになっているかも知れない。但し、その見返りとして財政はまず確実に破綻している。年金など諦めることだ。有権者はその覚悟を決めて、亀井と鳩山の「逆行」に付き合えばいい。くれぐれも念押しするが、後になって泣き言を言わないことだ。それは嫌だと言うなら、限度額が倍になったゆうちょ銀行には一切貯金をせず、今すぐ亀井と鳩山を倒すことだ。もう、いつまでも生ぬるいことを言っている時間はないことを知るべきである。

小泉郵政改革と言うと、判で押したように「アメリカの言いなりになって~」と非難することが正義のようになっているが、小泉と郵政の闘いはもっと古い歴史をもっている。小泉が郵政民営化を唱えたのは70年代の終わりであって、その後の宮沢内閣の郵政大臣時代、第二次橋本内閣の厚生大臣時代も一貫して郵政民営化を唱え続けた。あの時代の激しい抗争・・・小泉に敵対していたのは誰であったか。これだけ小泉郵政改革をバカにする以上、よもやお忘れではあるまい。

「なぜ小泉が郵政民営化を悲願としたのかは定かではない」という言い方に何度か遭遇した。以下は、そのこととは直接には関係ないが、私の“参考推論”である。

小泉の頭に、庄屋の存在が時に蘇った筈である。

庄屋・・・時代劇などでお聞きになったこともあるだろう。その前に、義務教育で習っている筈である。東日本では「名主」と言う地方が多い。裏日本では「肝煎」と言う所もある。大雑把にいって、西では「庄屋」、東では「名主」であるが、ここでは便宜上「庄屋」で通すことにする。

庄屋は、身分としては「百姓」である。しかし、母屋に式台を設けることが許されていたし、門を構えることもできた。この点に限って言えば、武家階級の中でも格の高い「直参」「御家人」より厚遇されていたとも言える。着るものも絹物が許されていたし、雪駄を履くことも許されていた。しかし、身分はどこまでも「百姓」である。

庄屋・名主は、農村だけでなく町にも居た。これを、「町庄屋」とか「町名主」、或いは「支配名主」などと言った。無理やり解り易く言えば、それぞれ村長、町長といったところか。現実に、農村の庄屋の場合、「入札」(いれふだ)(=選挙)で選ばれるという地域も存在したのである。

この庄屋階級が、日本の郵政事業と密接な関連をもっている。そして、気がつけばこれが大変な保守的圧力団体にまで変質していったのである。勿論、彼らは日本の郵政事業に多大な貢献をしたが、小泉が闘いを挑んだのは固陋な郵政圧力団体であったのだ。

庄屋という解り易いようで実は明確には説明しづらい存在は、郵政問題という桶をかき回すと百年の時を無視して、桶の水を濁して頭をもたげてくるのである。

2010年4月 3日 (土)

満開の夜桜の下で

先月上旬に、またまたスタッフを公募した。かつて新聞広告が主体であった人事募集は、今やネットが主流である。歩調を合わせるようにして、非常識極まる応募者が増えた。本ブログでも派遣社員からの転身を図る応募者の中に、非常識という名札を体中に貼り付けているような輩が多いことに何度か怒ってきたが、近頃はそれにも慣れてきた。我ながら、情けない話である。

今回も即戦力となる経験者を求めたのだが、前もって次のような方針を立て、選考に臨んだ。

・できれば20代の人材が欲しいが、絶対的条件としない。

・若い応募者は力が落ちる。若者の業務能力には寛容となり、多少のレベルの低さには目を瞑る。

利用したサイトの登録者は、7割が男性であった。私どもの公募に応募してくれた者は約70名であったが、やはり7割が男性で、母集団の性別比率を正直に反映していた。結論から言えば、エントリーシートでの選考を経て面接に呼んだのは1割に当たる7名であった。ところが、その中に男性は1人しか含まれなかった。意識してやったことではない。むしろ、私どものチーム(会社)は女性が多いので、今回は男性が欲しかったのである。にも拘らず、男性を選ぶことができなかった。それほど、エントリーシートの段階で男性は圧倒的に数が多いにも拘らず、面接に呼びたいという応募者がいなかったのである。勿論、これは私の主観による抽出に過ぎない。

たった一人の男性は、貴重な20代であった。20代の男性・・・それだけでウチのクリエイティブディレクターは、泣いて喜ぶだろう。多少力が落ちようが彼は受け容れて、自分で鍛え上げようとするだろう。ところが、面接の数時間前に本人から他社に決まったからと、メールが入った。理由も含めて典型的なドタキャンのパターンである。多分、本当に当日他社に採用されることが決定したのだろう。そう考えるべきなのだ。

これで残りは6名。目指す20代は、となると1名のみとなった。ところが、この20代女性も当日ドタキャン。こちらは、電話一本、メール一本の連絡もなく、無断欠席である。クソ忙しいスケジュールの合間を縫って面接を設定した苦労は、水の泡。20代の二人は、揃ってドタキャンをかましてくれた。

今までの実体験によると、当日無断欠席という悪質なドタキャンは、殆ど全て20代~30代前半までの女性である。男性の場合は、ウソでも何らかの理由を付けて、たとえ直前でも何らかの連絡を入れてくる。このことは今回に限ったことではなく、私の実体験による紛れもない実態である。前回怒ったように、この年代の女性は、採用が決定しても出社日前夜に突然キャンセルしてくる輩もいるぐらいだから、社会性など端(はな)から持ち合わせがないと思っていないと精神的に当方が傷つくことになる。リクルート業界の営業スタッフに話を聞くと、雨が降ってきただけでドタキャンが増えるという。メディアは内定率がどうのこうの、派遣切りがどのうこうのと騒いでいるが、一部(と信じたいが)の若者にとっては就職・転職とはその程度のことなのだ。現時点の経済環境下に於いてもそうなのだ。

一般に、近年は男性より女性の方が元気で、やる気もあって、などと男性より相対的に評価が高い。確かにその通りだと感じている。ところが、こういう悪質な輩は女性が殆どである。まったく若年層には、実力がない上に社会人として救い難い欠陥をもった者が結構居るのである。これが「平成の常識」か。だとすれば、「平成の常識」とは「人間社会の非常識」であると言わざるを得ない。

残るは5名。全て女性である。それはそれとして、今回はデザイナーの経験者を求めているのだが、この中に一人だけ異質な応募者を入れておいた。

それは、内定取り消しに遭った新卒である。デザイナーを志望しているとはいえ、私どもは経験者を求めている。今回の公募趣旨に全く合わない。しかし、大学三年生になるや否や内定取りに狂奔する大学生と「内定式」までやって学生を囲う企業。そういう異常な環境の中で、内定式を済ませて安心していたこの子が内定を取り消された、想像でき得る限りでの理由が心に引っ掛かった。私どものような微細な組織が、この子を戦力化できるか。一人ぐらいなら可能か。本人次第という面が多いが、悩みは尽きない。

採否の回答を送るべき候補者は、女性の経験者4名プラス女性新卒1名。全員を採用することはできない。誰を落とすのか、回答すべきリミットは、この土・日である。

41日、気象庁の発表によると東京の桜はこの日が満開であった。その満開の桜に覆われ、靖国の夜桜能の舞台を楽しんだ。得意先のある方が、前日、出張先から労を厭わず手配して下さったものである。近頃、能・狂言の世界にも若い女性のファンが急増している。偶々(たまたま)その観客の中に、面接に来た一人が居ることが分かっている。隣の席も、若い女性の二人連れであった。

男性若者よ! もう少し頑張れないか。夜桜能に顔を出せと言うのではない。夜桜と能を楽しむ時間、仕事に忙殺される時間、やけ酒を飲む時間、彼女を喜ばすデートプランニングに没頭する時間・・・どれもこれも君たちが「生きている時間」なのだ。「生きている時間」は、どの時間も等しく「生きている時間」として、誰にも侵(おか)されないのだ。この「生きている時間」に、何故もっと能動的に向き合わないのか。「生きている時間」は、等しく美しいのだ。要は、精神的エネルギーの問題である。

春嵐に頭上の桜がどよめく。舞台両脇の薪の炎が激しく戦慄(わなな)く。鼓の音(ね)が鋭く夜陰を斬り裂く。

私が「戦後第一世代」と呼ぶ「食い逃げ世代」が食い散らした平成日本。私どもが負う若者に対する責任の大きさは測り知れないが、もはや修復が不可能である以上、若者は強くあって己一人の為に闘うしかなかろう。国は滅びても山河は在り、山河は君たち次第で美しく蘇るのだ。

2010年3月21日 (日)

「書生の革命」と幼稚な政権(其の二)

真(まこと)に幼稚な政権である。

公人中の公人とも言うべき政治家の話になるので、引き続き敬称を省略させていただくが、私どもは真に幼稚な政権を戴き、この先更に苦労を重ねようとしている。

ギリシャ問題は、国際的にも深刻であり影響の大きい問題としてその解決にはEUを中心として世界各国が協調することになろうが、アメリカは「ギリシャ危機はEUの問題だ」として火の粉を被ることから逃れようとしている。このことは、ギリシャ;パパンドレウ首相が、市場の投機的な取引が同国の借入コストを押し上げ、放置すれば新たな世界的金融危機を誘発するとしたことに対するギブス報道官のコメントに表れている。曰く、

「ギリシャ問題は欧州諸国が自力で解決できるもので、またそうすべきことである」

一方で、IMFの支援に反対してきたドイツの態度が、先週末急変した。ドイツは、「ギリシャが自力で債務危機を解決することを望んでいる」としながらも、欧州各国政府、IMFが共同で支援すべきだとの意向を示したのである。これによって、今週2526日のEU首脳会議は紛糾すること必至である。

この問題は、多くの日本人にとっては対岸の火事であろうが、日本国家の巨額な累積債務はギリシャの比ではないのだ。財務省の見通しでは、我が国の国債発行残高と借入金の合計は20113月末で973兆円に達する。毎年、10兆円ずつ返済しても100年を要するのだ。我が国の税収は37兆円であるから、毎年10兆円を返済に充てるには歳出が27兆円に抑制されなければならない。ところが、民主党政権は92兆円という、驚くべき歳出計画を実施することを決めた。言うまでもなく、マニフェストやらに記載したバラマキ政策を実施する為である。こういう政権を“阿呆な政権”と言わずして何と言うか。有権者諸兄は、かつて日本がIMFの支援を受けて復興したことをご存じであろう。一票を投じる権利を有する「有権者」である以上、知らなかったとは言わせない。

この問題の解決策について、313日の朝日新聞紙上で元モルガン東京支店長の藤巻健史氏が「選択は二つしかない」と簡潔に述べている。

一つは、我々世代が使ってしまって積み上げた莫大な借金を孫・子の世代が馬車馬のようにひたすら働いて返済するということである。つまり、日本人を、これまで約束された、また更に現政権が積み上げようとしている福祉享受世代と、それを返済するためだけに働く孫・子世代に分ける強烈な格差拡大社会を推進することである。

今一つの方法は、莫大な借金をチャラにして孫・子世代にこの国を引き渡す方法として異常なインフレ政策を採ることだ。973兆円という借金は尋常な額ではない。尋常ではない借金を返すには尋常ではない手法しかないという訳である。尋常ではないインフレを起こし、タクシーの初乗り料金が100万円とか1,000万円とかになれば、973兆円という尋常では額も返済可能な価値となる。勿論、その時は年金収入では電車やバスにも乗れなくなる。実質的に今の年金収入は消滅する。

さて、我々はどちらの手法を選択するのか。我々の社会は、そこまで来ているということなのだ。それが認識できれば、ギリシャ問題を対岸の火事と見過ごしても許されるだろう。

そういう局面に来ているにも拘わらず、今の政権は違法行為を積み重ねる日教組に何の手も打たず、夫婦別姓の実現に躍起になり、天下り廃止という綺麗事の謳い文句の裏で高級官僚の人件費を数千億規模で増大させ、GW連休の地方ごとの分散などという戯言(たわごと)にウツツをぬかしている。

この政権を支えているのが日教組と連合であることは、民主党立党時点から分かり切った事実であるが、代表的な違法事例として北海道教組神奈川教組山梨教組などで何が行われているか、有権者はもう一度目を向けるべきではないか。小林千代美の問題は、今に始まったことではないのだ。日教組の犯罪に注目すべきことは、この政権の成立に一票を投じた、つまり一役買ったあなたの義務であり、責任である。

また、法務大臣;千葉景子が、昔から夫婦別姓主義者であることはご存じだろう。就任会見で述べていた通り、この女性議員はそれをやるためだけに法務大臣にしてもらったようなものであり、任命した鳩山の見識を疑う。選挙の敗者でありながら小沢の思惑によって図らずも政権入りした社民党;福島瑞穂は、これも以前から「子供が18歳になったら家族解散式をやる」と公言している「家庭否定主義者」である。彼女たちの知的欠陥は、個人の独立ということと家庭・家族という概念を対立軸で捉えている点であろう。幼稚というか、稚拙としか言い様がない。私自身は、別姓であろうが同性であろうが、その形を全く重視していないが、昔から「社会の基本単位はカップルまたは家庭である」ということを繰り返し述べてきた。それは「人間の営み」がもたらす個々人の幸せに思いを傾けるからである。偶々(たまたま)、「世界人権宣言」というものがある。こういうものは「理屈」の範疇に入るので、引き合いに出したくないが、教条主義的な女性議員は知っておいた方がいいだろう。世界人権宣言第16条に曰く、「家庭は社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」。また、同10条に曰く、「広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対して与えられるべきである」。

更に言えば、彼女たちが我田引水の為に事あるごとにもちだす日本国憲法は、その試案の段階でこのことに触れている。「家庭は人類社会の基礎であり、婚姻と家庭とは法の保護を受ける」。そして、マッカーサー自身が提起した所謂「マッカーサー試案」にも「家庭は人類社会の基礎にして~」という表現がある。敗戦直後の日本人も、さすがにこれには「そんなことは我が国では古来当然のこと」として、わざわざ「憲法」の条文に入れるほどのことではないとして現憲法には明記されなかったという経緯がある。

GWの分散などという“ままごと”以下の戯言(たわごと)を主張する張本人の一人は、かつて詐欺罪で有罪となった前科のある“北朝鮮主義者”;辻元清美であるが、このニュースを朝のワイドショーで解説していた番組中でメインキャスターの小倉は、思わず「バッカじゃないの!」と一言で唾棄した。一瞬、本人も「まずい!」と思ったような表情を見せたが、さすがにこれについては何も問題が起きなかった。それほどこの提起は、低劣なのである。辻元とは、200510月、エログッズ店が渋谷のライブハウスで開催した女性限定イベントで、「国会議員っていうのは国民の生命と財産を守ると言われてるけど、私はそんなつもりでなってへん! 私は国家の枠を如何に崩壊させるかっていう“国壊議員”や」と宣言した、あの辻元である。つまり、彼女は、この国を崩壊させることを目的として国会議員になった訳であり、当然この女性議員の支持者もそのつもりであることは否定の仕様がないであろう。

こういう輩が、今まさにこの国を破滅に向かって引っ張ろうとしている。

司馬遼太郎氏は、明治維新を称して「書生の革命」であるということをしきりに言う。私は、「明治維新」という何を以てそう言うのか定義の難しい言葉を安易に使うことを好まないが、この点に関して司馬さんは真(まこと)に無頓着であり、ここではやり過ごすことにする。また、極端な長州贔屓でも知られる司馬さんは、次のようにも述べる。

――長州藩は、書生たちが藩を牛耳って、やることなすことが滅茶苦茶だった、四カ国艦隊を相手に一藩だけで戦争をしたり、幕府に両度にわたって攻められたり、あのままでゆけばつぶれていたろう、ということがいえます。確かに長州藩はつぶれていたでしょう。薩摩藩が、政略として長州藩に手をさしのべたから、長州は明治維新までこぎつけることができたといえます――

「書生」という言葉を解説する必要もないだろうが、それほど明治維新や長州藩が「幼稚」であったということを、司馬さんは述べている。ただ、司馬さんは、この幼稚さを好意的に受け止めているから「書生」という言葉を使っているのである。

今また、龍馬と土佐がブームであるが、幕末時点の土佐人とは非常に粗野で文化度とも言うべき民度が低かった。隣の伊予人は、常にこれに眉を顰(ひそ)めていた。土佐とは対照的に伊予という土地は古来詩藻も豊かで文化度の高いエリアである。その伊予松山藩は賊軍となり、僅か500人の土佐人に占領された。僅かな占領軍に抵抗しないところが伊予人の伊予人たる所以であろうが、この時の土佐人の振舞いを秋山好古は後々まで憤慨している。伊予には八つの藩が存在し、版籍奉還時にはそのまま八県いなったが、明治五年には二県に統合され、旧松山藩は「松山県」となった。ところが、県令として赴任してきた土佐人;本山茂任(しげとう)が、松山という名称が古臭いとして「石鉄県」にすると言い出した。この本山茂任という土佐人は、維新の果実だけを拾った、かなりいかがわしい人物である。司馬遼太郎氏は、「街道をゆく」の中でこの件について次のように述べている。

――太政官への具申書に、松山が古臭く石鉄が新鮮で民心の統一に役立つという意味のことが書かれていたそうだが、この程度の人間でも薩長土肥に属していれば県令ぐらいになれる時代であった。――

更に、

――土地では、「イシテツ」と読む人があったというが、イシガネと読むのか、イワガネなのか、それともセキテツなのか、よくわからない。要するに愛媛県の北半分は「旧賊軍」ということで、粗暴な県令が任命され、額に「馬鹿」と烙印を押されたような県名をかぶせられていた時期が、一年あまりも続く。松山は江戸期からの俳諧の一大淵叢であり、町方に至るまで詩藻の豊かな者が多かった。幕末から受け続けてきたいろんな屈辱の中で、この「石鉄」はもっともひどかったに違いない――

またこの頃、京都・嵯峨野などで林が荒れ始めた。嵯峨野の風景が変わり始めたのである。それは、剪定(せんてい)などを怠り美観維持の作業が行われなくなったことに因る。御一新前にこれを行っていたのは幕府である。太政官政府の大久保は、陳情を受けて初めてこのことを知った。幕府は、そこまでやっていたのかと驚いたのである。大久保利通が政治とは何ぞやということを理解したのは、この時からであるとされる。

斯様(かよう)に、御一新の時にもさまざまな「稚拙さ」が溢れていたのである。

今、民主党や社民党、国民新党に属していれば、辻本や千葉のような人物でも大臣や副大臣になれる。そういうご時世なのである。あの時のように「ご時世だから」と言って諦めるか。

ただ、あの時「ご時世だから」と言って庶民が諦めた背景には、切羽詰まった国際環境があった。今はそれがない。単純に当事者たちの低劣さがもたらす危機的な現象に、果たしていつまで国民・市民が「ご時世だから」とやり過ごすだろうか。

尤も、私には有権者の「自業自得」にしか映らない。

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